雑に書く

久しぶりに夢を見たんだ。ビルの8階にいた。突然停電で真っ暗になって、そしたらすぐに激しい横揺れが襲った。「地震だ」って誰かが叫ぶのと、そこらにある物がガラガラ崩れ落ちるのがほとんど同時で、どこかにしがみついて揺れが収まるのを待った。収まったらすぐにエレベーターに駆け込んだ。早く地上に降りなきゃって思ったんだろうね。そして下のボタンを押してエレベーターが降下し始めたところで気付いた。エレベーターの降りる速度がおかしい。自由落下だったよ。隣に乗ってた人に「ああこれ、エレベーターも壊れてるね」なんて冷静に語り合って、すぐに地面に叩きつけられた。生きてるのは僕だけだった。崩れたビルの瓦礫に埋もれる死体を踏みながら、誰も周りに生きてる人はいなかった。気がつけば号泣してた。


その辺で起きた。目ヤニがすごかったんだ。寝ながらも相当、泣いたんだろう。


そういう夢を見るの、本当に久しぶりだった。昔はよく見たよ。友人が自殺で死んだとき。銃殺も鉈の刺殺もあった。その全部の夢で、僕は生きていた。周りはみんな死んだ。そんな地獄見せられてさ、なんで一緒に僕も連れてってくれなかったんだよって思った。友達が、死んだせいで学校に出せなかった家庭調査票の友達の欄に自分の名前書いてくれてたって知った日は、夢の中で死体に足を掴まれた。


ずっとそうだ。17才の時からずっと、心の底に、生きていることへの劣等感がある。頭の中からずっと、出してくれって、鳴り響いているものがある。でもその健全な出し方なんて知らないよ。その出し方として今までやったことはだいたい失敗だった。転学部も医学部受験もフリーターも違ったね。今こうやって書いているブログだって失敗だ。新人賞に応募した過去の小説だって全部失敗だ。だって先がないんだもん。その向こうがない。それによって築く人間関係もなければ、もう一回チャレンジしようぜって声をかけてくれる仲間もいない。もちろん、そんなのなくてもやってやるって思って始めたんだよ、でも物理的にさ、そういうのに寂しくなることはあっていいじゃん。寂しくて寂しくて寂しくて、路上で力尽きて座って見上げる夜空はあってもいいじゃんか。

会ってみたい この僕を求める人に

B’z 『赤い河』


めっちゃエゴチックな書き方をすると、僕は誰かに「書いてほしい」と頼まれたい。そしてそれは多分、顔も名前も知らない遠地の誰かじゃないとダメだ。自分の書いたものを読んでくれる人はゼロじゃないけど、みんながみんな、それを僕だからという理由で読んでる。作者なんか棚上げで、その言葉が欲しいからという理由で僕の文章を求める人ってこの世にいるの? そりゃ、それを0だって断言することほど愚かなことはないわけだけれど、でも僕の視座からは0に等しいよ。神の視点から見て、それが0ではない可能性を提示するのなんてあまりに簡単だけどさ、だけどそんな神の視点で物事を見すぎて、カメラのレンズを絞りすぎて自分の存在まで点になった苦しみが自分のそれなんだ、お前の文章を求める人もいるかもしれないよなんてさ、そんな神っぽいこと、簡単に言ってくれるなって話なんだ。心、砕けちゃうよ。


ここ連日、文字が書けなくなった。ろくな人間でもないのにそんな一流の物書きみたいなこと言ってる自体が滑稽だけどさ、でもそれではっきりと分かったのは、どんな賞をとるより書き続けることのほうが難しいということだった。自分の書き終わった何かの評価を待つもどかしさなんて、このまま何もできない人間として人生朽ち果てる恐れに比べたら塵みたいなものだ。本当は、書けないことを、もっと真っ向から捉えたいのに、でも書けなかったら書けなかったで、書けない人生なりの「明日」ってやつが気づいたらそこにいるんだもん。意気揚々と楽しく文章を書ける時期にも、何も書けなくなってもう生きてること辞めたいくらいの時期にも、無慈悲にも同じスピードで明日がやってくんのよ。その明日っていうのはさ、コレコレを書きたい明日とか、そんな夢に溢れたもんじゃなくて、生活費を稼ぐための予定が組み込まれてて、お客さんのために体調管理までちゃんとしなくちゃダメだって空気までが組み込まれてて、だからいつだって野放しに書けないよ。どんなに気持ちよく書きたくてもさ、それを書くことでの明日への影響が脳内にチラつくじゃんか。ちょっとでも病んだら終わりじゃん。ちょっとでも布団から体が動かない明日を迎えたら終わりじゃん。そういうのが心のどこかにストッパーをかけんのよ。だって明日もお金を稼がんとあかんのやもん。家賃も電気代も年金も払わないと、すぐ非国民になっちゃうんだから。馬鹿みたいだ。60まで生きるなんて本当に奇跡みたいなことなのに、なんでそんな年寄りたちに毎月16000も僕は金払ってんの? 旅行に行くのか孫にあげるのか知らないけどさ、いい歳して若者から金を吸い上げんなよ。60まで生きられただけで、もっともっと誇らしく思ってくれよ。60まで生きるのも働くのも当然で、そこまで頑張ったから後は若者の金で悠々自適な老後をってさ、本当に頼むから、僕の生きるハードルをもうちょい下げてくれよって思うんだ。別に60で死ねとか言わないし、でもそれ以上生きたいなら、せめて自分の金でやったらどうなの。だってさ、60まで生きただけでまじでかっこいいよ? そこでぽっくり死んで何が恥ずかしいんだって尋ねて回りたい。

わかんないよ わかんないよ
人は歩けるんだとか 上手な歩きたかも

ヨルシカ『詩書きとコーヒー』


普通が邪魔だ。普通に生きてりゃそれが普通だと思うことが当たり前すぎて醜い。僕達はいつも愛を議論して、その人が「何」であるかではなく「誰」であるかを重んじることが愛なんだって気がつくけれど、でもそれが今の僕を蝕んでいるように。僕は自分の創作物にあたっては、それが何なのか、それだけを見て欲しかったんだ。それを書いた人が誰なのかとか、それを書いた人がどれだけすごい人間なのかとか、そんなことはどうでもよくて、書かれたものが何なのか、それがどれだけすごいのかを見て欲しい。邪魔だ。今までやっとこれこそが愛だと思っていたものが一気に邪魔になる。今までそれが真実だと思っていた何かが、突然ある日、鋭利な刃物になって襲ってくる。なんて理不尽な世の中なんだろうね。そんな世の中でルールなんか作らんといてよ。ルールなんかないくせにさって思うわけよ。


全部放り出したい。放り出して放り出して、最後に綺麗な夜空を見たまま、ゆるやかに死にたい。