故人の存在を『履く』ということ

已むに已まれぬ気持ちで記事を書くのは珍しい。頭の底から出してくれと叫ぶような何かがある気がして、それを探すような感覚で文章を書いている。


つい最近。今年も、高校のときに自死で亡くなった友人の墓参りに行った。これで六年目になる。もう六年、という表現が近い。この六年は早すぎた。少なくとも中高の六年よりは何倍も。早いという表現より、重かった、みたいな表現が近かったりするかもしれない。友人の自死という経験には、多かれ少なかれ絶対的な質量があった。その質量の抱え方というものを模索することが、自分の人生と向き合うことに比例した。


親しかった者の自死と向かい合うということは、つまるところ、いかにディレンマ感情を処理するかというところに集約したのではないか、と思う。故人のことを思うたび、どこの要素をとっても峡谷のように迫り立つ壁が両脇にあった。夜な夜な故人を脅迫していた人間というのがいて、僕たちはその「犯人的」な存在を、自分のことなど棚上げで声が枯れるまで糾弾してやりたい気持ちを抱えながら、しかし「そんな頭がおかしな人間は無視しておけ」と、故人にとって死が救済になるほどの苦しみを"耐える側"に回れと提案した節があった自分にもその自責の念が対応している。


だから彼の自死を思ってきた、ということは、彼にとって清潔な弔問者でありたいという、どちらかと言えば自分の潔癖に対しての願望だったのかもしれない。もちろん、彼は亡くなり、彼という実存がもうこの世には存在しない以上、真の意味で彼の死後に彼のためになることはない。しかしそれでも、その脅迫犯が故人の体を奈落の底に突き落としたことが事実だとしても、最後に崖を掴んだ彼の細い指を握れなかった自分、というのをどこか冷静に俯瞰もしていて、ではそんな人間が、彼の眠る墓石の前に佇み瞳を閉じて念じることは正しいのだろうかという、誰もかもが寡黙になるしかない哲学的な問いは頭の中で常に循環していた。


今の日本というのは、いかなる死に対しても「判断」を下さないといけない時代の中にいるんじゃないだろうか、と思うことがある。僕こそ、彼の死をきっかけに大学の後半戦はほとんど自死の研究をして、凡そ百人前後の自死遺族からも話を聞いたりしたが、どの人もその旅に途方に暮れている印象があった。どんな人の命にも重い軽いなんてことはなく、だから当然、人の死に対しても、軽い死や重い死というものはない。しかし、どうしても、「判断しやすい死」とか「判断しにくい死」というものはあってしまうのだ。僕たちは絶対に、都内で起きた無差別殺人の遺族になったときに自分を呪わない。犯人と運命しか呪わないだろう。何回か訪れた故人の墓の前に立つときも、例えば祖父母の葬式に出席するときとはまるで感情が違う。やはり、謝罪がベースとなる感情の中に包まれたような感覚でいた。ずっとずっと、故人の死を判断できないでいたのだ。いや、何を判断するべきなのかが分かっていなかったのだ。


だから、結局のところ、何もかもが分からない状況というものが永続的に続く。僕たちが彼の生前に語りかけた言葉と彼の視座というものはまるっきり異なっただろうし、僕たちは神にはなれないから、善悪の判断も不可能、では何がそこに残ったかと言えば、愛だった、それしか言えないのである。それしか言えない人間の雑魚さみたいなものに対しても、それを愛しておくしかないという感覚が最近になって分かってきた感じはある。


本当に、こんなにつまらなく美しい結論を迎えるとは思っていなかった。僕はやっぱり、学術的に自殺を考えようとしていた。自殺を論文としてまとめないといけなかったし、かつて医学部を受験しようとしたのだって、自殺というそのものを、愛などという個人の裁量で何とでも言える感情の世界から切り離すための所作であった、今振り返るとそう思う。それはやはり自分にとっても苦痛だった。なぜなら、愛で語ろうとすればするだけ、愛で語れないことの方が多く目についたからだ。だって、愛などという主観的で抽象的な情で彼の死を防げなかった事実のみがずっとそこにあったのだ。それなのに後付けで「彼のことを愛していました」なんて言ったところで……そんなの、野暮じゃないか。


愛したい対象のすぐそばに、愛では語れない何かへの憎悪が常に存在することが苦しかった。だから、故人を愛していたとか、故人のことが少し分かったとか、そんなチープではない他の何かの言葉が欲しくなる。悩みに悩んだ。その末に自分が選んでいたのは、故人を「履く」という言葉だった。


安楽死の問題が一生解決しないのは、意思決定能力を持たない人間の存在に対する扱いを誰が行えばよいのかという論点に終始しているからであるように、人は、意識の非実存の世界に対しての問題をより倫理的に扱おうとする。故人をどう弔うかという話もそれに倣うだろう。安楽死の問題において「望まれた死」と「望まれていない死」を必死に区別したがるように、僕は「正しい弔い」と「正しくない弔い」というものの間に、どこに線引きできるラインがあるかを求め彷徨っていた。自死した故人の原因に少しでも自分が選ばれる可能性があるのなら、そんな人間が行うのは、誤った弔いなのではないか。誤った弔いというのは、自分の納得とエゴのためだけに故人を利用するということに何ら変わらないのではないか。その利用こそが、まさしく、故人を「踏みにじった」ということになり兼ねないのではないか、と………。


でも、それでもだった。例えそれが踏みにじり的な行動だとしても、それでも絶対に変わらないことがあると信じたかった。それが今まで言葉にならなかった。その感覚が言語化できてこなかった。でも最近分かった気がする。僕は、彼の存在自体を履きたかったんだ。人々は外を出歩くとき、靴を履く。素足が汚れないように、また、どこにあるのかも分からない鋭利な欠片を踏んで痛みを感じることがないように。毎日何歩も歩くその足が靴のクッションに守られる。それでも、足の下に敷かれ、何回も踏みにじられるその存在を、僕たちは全くもって蔑んでなんていないはずだ。それがあるおかげで、どんな理不尽な自然物による痛みからも守られていると、もちろん毎日感謝なんかすることはなくとも、僕たちは頭の底で、この靴があるおかげで、怯えながら外の世界を歩まずにすむことを知っている。僕にとっては全部がそうだったんだ。彼と仲良くしていた頃から、そして彼が消えた今まで、唯一普遍だったこと。彼の存在、および彼の起こした行為の社会的な意味を悶々と考えるということで僕は生きたんだ。いつ理不尽が起きるか分からない平等性の欠片もないこの世という砂利道を、彼の存在に思いを馳せるという意味での靴を履いたことで通ってきたんだ。だって素足で歩くと痛いんだから。見て見ぬふりして生きてると心のどこかが痛いんだから。それを和らげてきたのは間違いなく、彼の存在と、彼がいなくなったことを考え続けたこの六年間だった。一番に望む形ではなかったけれど、彼は、亡くなって僕の脳内を占めるという形で、僕に靴のような存在感として関わってくれたんだ。それが......それが、全てじゃないか。


そう思うと、今までやってきたことが何ともおかしなことのように思えてくる。今でも毎年、お墓に帰るたびに笑顔で迎えてくれるご遺族の方たち。僕がずっとやってきた、「正しい弔い」を考えるということは、まるで故人のためのことをやっているようで、自分の周囲の人間の思いを履くことを拒否していることに変わらなかったのかもしれない。自分は自分の立てた問いでこの人生を歩むと思い込んで自分本位になった。そうして自らで自らの余裕を剥奪し、自死遺族から話を聞き続けた生活に何よりも自信を持てなかった自分。それでも、そんな自分が帰る場所を提供してくれる人がいることに、毎回、心は詰まる。自分はそんな人を遠ざけたくなるときがある。自分が自分のことを一番に見下しているから、自分に関わらない方が、あなたが、彼は、実は幸せだったのではないかとつい囁きたくなってしまう。しかしそれは、一番大事にしたかった人の思いを履くことになっているのだろうか。自分を知ったような気になって、言葉を重ね続けて何かを探ろうとしても、それがどこへ続く道なのかすらすぐに見失う。見失うから、手探りで、何が欲しいのか問いかけながら、何かを掴もうとする。


しかし、掴むまでもない、その答えは出ているはずだった。


僕は、彼のことを履きつつ、愛したかったんだ。


履くことと愛すること、この二つは、自分の中で常に背反する事柄だった。誰かを愛するにはどうしてもその存在を信じることが必要で、しかしそう信じる中で、急に己の心が煮えて沸き上がり、積極的に自虐の螺旋階段を下りてしまうことがある。故人が自ら亡くなった事実とその加害性の所在をどうも素直に咀嚼できず、自分が見たいようにこの出来事を見させてくれと神に頼みたくなるようなもどかしさが胸を掻き毟るのだ。それは、今まで書いたような『履く』という捉え方と真逆の行為だった。自分から積極的に靴を脱ぎ、ほら見ろ、この道は歩くとこんなに痛いじゃないかと、自分の痛みを以てそれを他人の痛みに投影したいだけに他ならなかった。私心が優先されるたびに、相手の命がどんどんと霞んでゆく感覚がどうも苦しい。


だから、竹馬がその足を交互に出さねば前に進めぬように、そうした感覚で、前に歩んでみたい。『愛する』ということと『履く』ということを、自分の両足にしてみたい。それができたときに僕は、また彼に会いに行きたい。こういうのをオープンにするのは良くないのかもしれないけれど、今まで彼の眠る墓石の前で思い浮かべたのは、最近学部を変えたんだとか、やっと大学を卒業したんだとか、そんな過去のことばかりだった。でも、今回、六年目にして、それが少し変わった。僕はちょうどそのとき、彼の墓石の前で、こんなことを思ったのだ。


たぶんしばらくは、本当に力尽きるまでは、君と、君に似た人の話を書き続けると思う。


初めてだった。それまで、過去の報告をしたことしかなかった場で、未来の報告をした。歩む予定の道から見える景色の話をした。それができたのは、自分の素足が何に守られていたのかを知ったからに他ならないんじゃないだろうか。いつも、それを守ってくれる人の前に帰ってきていたというのに。こんなに簡単な結論に辿り着くまでにこんな時間がかかる自分を、笑いとばしてくれるだろうか。


彼はいつまでも、きっとそこにいるのだろう。ずっと臆してきたことに、今は少し準備ができている気がする。