バイクを買った。自然になるために。【Drugstar400】

バイクを買った。


突拍子もなく。


経過を色々書こうと思います。多分、この先の心強いパートナーになてくれると思うので。

人工物から早く離れるために


思い立ったのは去年の11月くらい。たった3か月くらい前だった。派遣社員という形で、飲料メーカーの営業職補佐につき週5くらいで働いていた頃。仕事は退屈ではなかった。むしろ結構忙しかったし、時間も忘れられて、ただ、このブログ然り小説然り、文章を書くことで何か心を満たすことをやめられない生活にとっては明らかな枷になった。朝6時過ぎに起き、1時間と少しかけて通勤し、夜は8時くらいに帰り、さあそこから文章を書いて、という、僕の夢見ていた理想の生活は1週間ももたなかった。仕事以外の時間はほとんど仕事の疲れをとる時間と化し(結構肉体労働だったので)、仕事をする時間は何も考えられないほど夢中になるだけに、かえってそれ以外の時間にぼうっと何かを考える時間が集約した。そこで考えたのは、自分の書きたいことも書けず、このまま仕事だけを繰り返す毎日に何の価値があるだろうか、そんなことばかりで、朝ロボットのように目を覚ましては、ドナドナのように会社に運ばれ、脳を停止させて働く毎日を過ごすと、あらゆる意欲が低下するのを感じていた。やりたいことがどんどんできなくなっていくにも関わらず無慈悲に溜まっていく金を不憫に思った。


だから必死に考えていた。この仕事をしながら、どうしたら楽しみながら文章を書ける生活を維持できるだろうか、と。疲れ切った体で家に帰ってから文章を書く気にならない。僕は常に考え、書いていたい。生きるとは何か、死ぬとは何か。でもその思考力を、短時間に集中させてはいけない。日中はほとんど労働、家に帰っては暗い話ばっか書いて憂鬱な気分で眠り、というサイクルから脱却する理由を考えた。死ぬこと以外に。


その果てに思いついたのが、バイクだった。


僕に足りないのは、自然に紛れる力だと思った。


働きながら過ごす日々で、僕は自分の目の焦点が、わずか数センチ以内にしか向いていないということに気がついていた。取引先に失礼にならないように。派遣社員にはぞんざいな管理長の視線になるべく入らぬように。かといってそれらを気を付けたところで、自分の目指している何かが手に入るわけではなかった。僕が欲しいのは、それらの日常と感性を表現する自分の力だけだった。仕事のせいでその意欲を削がれるのなら、本末転倒だった。


だから、どこに、どう出かけようか、どう自然に紛れようかと考えたとき、自分の乗り物、これが必須なのは明らかなように思えた。電車にもバスにも人がいた。朝の改札で流れゆく人たちの顔は颯爽としていて、それを見るだけで自分だけは違う生き物のように思った。自分だけを乗せてくれる何かが欲しかった。


でも、車は買えない。高いし、何より停める場所がない。


必然的にバイクになる。


グーバイクで色んなバイクを眺めるのが日々の楽しみになった。働きながら、こんなバイクに乗ったら自分はどう映るだろうかと考えるのが趣味になった。どんどん絞っていった。かっこよさ。辛うじて手が届く費用。車検とかの整備の基礎知識。

辿り着いた『アメリカンバイク』


で、アメリカンバイクに行きついた。


ロードレーサーとかは気にならなかった。走行性能には大して惹かれなかったのだ。その代わり、ローロング(車高が低く前後に長い)のスタイル、そのボディの大回りな大胆さに惹かれた。気がついたら、アメリカンバイクの専門店に出向いて、免許も申し込んでいた。


それで、無事免許も取れたので、納車。


卒検に2回落ちました。恥ずかしいので、いつかこの記録も書きます。


これが自分のものになったと思うときの胸の高揚感はすごい。どこまで自分を連れて行ってくれるのだろう。あれほど自分のことが気になりすぎて周りの何かに気がつく余裕のなかったあの頃の自分の焦点を、どこまで和らげてくれるんだろう。


今はもちろんまだ初心者期間なので、平安神宮とか、近場に出かけるくらいがちょうどいい。


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Drugstarというバイクについて


購入したのは、Drugstar(以下ドラッグスター)というYAMAHAが生産していたアメリカンバイクです。ドラッグスターだけではなく、現在アメリカンバイクは国内でほとんど生産されておらず、このドラッグスターも2003年生産の中古品です。


ヤマハ(YAMAHA) ドラッグスター400(DS4) | DragStar 400(XVS400)の型式・諸元表・詳しいスペック-バイクのことならバイクブロス



アメリカンバイクの現役と言えば、間違いなくHONDAのレブルでしょう。ただレブルは400㏄がないし、速度計も完全なデジタルで、アメリカンバイクの"昔ながらの良さ"みたいなものが欲しかったからイマイチだな、と思って。現在は販売停止しているものを含めてもよいなら、Kawasakiのバルカン、HONDAのシャドウやスティード、YAMAHAのビラーゴ、SUZUKIのイントルーダーあたりが有名でしょうか。素人目には全部同じように見えると思うのですが、比べているとその細かな違いも見えてきて面白いです。


www.bikebros.co.jp
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あと、もう少しマニアックなモノにも触れるなら、マグナとかエリミネーターとか。性能自体はほとんど変わらないので、実際に見てみて「びびーん」ときたものを買うのが一番だと思います。アメリカンバイクなんて、見た目が全部なんで。加速も遅いし、小回りもきかないし、でも乗ってしまえば、言葉にはできない高揚感があります。なんでなんでしょうね。


アメリカンバイクの形状は、マフラーとかハンドル周りに一番違いが出ると思います。その中でパッと、ドラッグスターに惹かれました。


ドラッグスターを購入したもう一つの大きな要因は、大学のときから働かせてもらっているバイト先の常連さんの存在で、この人もドラッグスター(クラシックなので若干の違いあり)に乗られていたんですよね。カスタムパーツとかを分けてあげると言ってくれたり、あとは素人の自分にとって、すぐに分からないことを聞ける知り合いの人がいることは、何よりも心強かったのが大きいと思います。

生きるために、観察者になる


生きるとは、常に何かを見ておくことでもあると思います。その生命の駆動力において"興味"がその大きな比率を占めているのは間違いないでしょう。あれを見るまでは死ねないな、みたいな。今までは何かを見ようと思っても、結局交通費がかかるとか、満員電車は嫌だとか、そんな理由でパッと諦められたのが、バイクがあるおかげでいつ何時でも自分の好きなように出かけられるという事実に胸が高鳴ります。


大人になるとはきっとこういうことなのでしょう。


大人になるとは、大人に"も"なる、ということで、それは子供の自分を捨てる事ではなく、子供のように何かにワクワクするあの頃の体力だけは維持して生活しておくこと。人類は初め、みんなそうだったはずなんです。何か知らないものがあれば口に入れようとしたし、近くにあったものはすぐに握ろうとしました。でも大人になるにつれて試されるのはそれらの「上手な諦め方」というもので、「現実を見ないと」「環境が伴っていないから」「時間が取れないから」「ちょっとでも心が疲れるのは嫌だから」と何とか言い聞かせ、心を殺して日常に向かい合ううちに、その「上手な諦め方」というものは姿を変え、「生きるのを諦める力」へと変身することがあります。


だからそうなる前に、ちょっと視点を変えて、当事者になるのを諦めていく。


自分の力で何かをコントロールしようとすればするほど、コントロールできない誰かの存在はいつも枷になり、思うように進まない事態への苛立ちも増え、そこで、天から地球を眺める観察者になるのです。自然無為とは、自分がコントロールしなくていいというだけでなく、そちら側からもこちらをコントロールしてこない寛大な存在に思えます。人との上手な付き合い方も、人をうまく諦める力も、自然が教えてくれるような気がするのです。そこへ出かける駆動力をバイクがくれたというのは、きっと、自分の人生にとって大きな意味を持つのではないか、と僕は考えています。


たぶんこの先も、ツーリングなんかしたらその記事を書いたりすると思います。


このバイクが更なる相棒になってくれれば嬉しいです。