健やかな論理の中で生きるということ

 わかるわかる、と依子は言いながら、拳の付け根で口の端についたパスタのソースを拭った。わかるわかる、と二回も繋げられた単調な動詞は、私ではなく依子に言い聞かせるための言霊に思えた。

「ほんと?」

 メニューの中でも特に濃厚なパスタを咀嚼する口を全く開かず、代わりにその奥の声帯を震わせるだけで「うん」と伝えた依子の姿に迷いはなかった。

「絶対そいつ、自分のマスターベーションにあんたを使いたいだけよ。そのうち手が出てくるタイプだから。別れるなら早めのうちだよ」

 別れたいわけではないの、とは言えなかった。あれ、と心の中で不透明な靄がかかり始めるのを自覚する。依子に何の目的があって話し始めたのか分からない。気がつけば口が開き、その後で何を話したかったのか分からなくなるのは私のいつもの癖だった。



 他人のことを話さない、と私が心に決めたのは高校二年生のときだった。女子という生き物の運命が儚いと思うのは、言葉での伝達なしには繁栄できない生き物であるがゆえに、その言語化能力でカーストが決まる点だと思う。私はその能力が著しく低いのだと気がついたときにはすでに、周りには友達がいなかった。

 あの子は、人の悪口しか言わないよ。もともと心が汚い子なの。なるべく、かかわらないようにしようね。

 つもりがない、という言い訳ではその生態系の網の間をくぐれないというのも、またひとつ、女子という生き物の運命の儚さなのかもしれない。私たちは常に一発勝負の世界で生きているから、失敗は許されない。不可逆の世界で地に堕ちると、挽回のしようがなかった。

 だから私はもう金輪際、他人の話をしないと決めた。私は、自分にとって快感がベースの経験を他人と共有することをしなかった。その日、そのときの好きな景色を、誰にも渡さず眺めるのが好きだった。その末、私の心から喉への通り道のフィルターは、何かの疑問点、納得できない理、そうしたものしか通さなくなった。それが他人の目には誰かの悪口しか言わない性悪な女に映るのだということを、人生18年で学べたのは良かったかもしれない。気がつかぬまま社会人になって、一生ものの職場で過ごすまで客観的に私を観察できていなければ、もしかしたら一生の人間関係を棒に振ったのかもしれない。



 その点、依子と過ごしていて気を遣わなくていいのは、依子も同種の人間に映ったからだ。依子は、建前世界との連絡手段を持たない世界で生きるような人間だった。私の心は楽しい体験にフィルターがかかる構造であるように、依子の心は、その場をやり過ごす建前の嘘にフィルターがかかる構造をしているのだと思う。そうでもなければ、初対面の私に、しかも、大学の授業の一角のアクティブラーニングでたまたまペアになっただけの関係の同級生に、彼氏と別れた方がいいなんて言えるだろうか。依子は私が今まで出会ってきたどんな女子よりも、強く、弱かった。

 黙った私に「何で付き合ったの」と依子が聞く。答えないといけないのに、初対面の子とたまたまご飯に行くなら食堂でよかったかな、なんてことが頭に浮かんで、「うーん」という曖昧な言葉だけが依子の疑問を包む。ね、言語化能力が低いでしょ、私。15分くらい前、彼氏とかいるの、と聞いてきた依子に「うん」とだけ単調に答えた私を見て、きっと依子の頭の中では、何も楽しいことがないカップルの惰性の生活が今も想像されていることだろう。私は精一杯思い出す。彼氏の俊哉にプロポーズされたときのことも、初デートで歩道の車側から内側に肩を寄せてくれたことも、なにもかも鮮明に覚えているのに、脳の中で体育座りをするだけの記憶は、かつて見た反抗期の弟より頑固だ。

「そんなことあるの? 付き合った理由くらいちょっとは出てくるくない? おもしろいね、あなた」

 依子は笑って飛ばした。 

 私にとっては、沈黙が肯定の意味そのものなのだ。心にフィルターをかけられていて、喉からは飛び出ないというだけで、それが楽しかった思い出だということを示すはずなのに、それなのに、私はふっと怖くなることがある。私がそれを、宝物のように抱えておきたいから話さないのか、それとも、実はその中身なんて何も実体がないちんけなものとしか認識していないから誰かに話せないのか、その見境がつかなくなるときがある。だから依子に彼氏のことを聞かれて第一に「週に一度くらい三万くらいの靴を買ってくる」とか「その靴を私が褒めないと不機嫌になる」とか、そんなことが口から飛び出ている私は、誰かの納得できない行為しか、言葉という形にして確かめられないのだ。そのことが少しずつ蓄積して積み重なり、いつか大きな音を立てて崩れ去るんじゃないかという恐怖は確かに私の中にある。

「でも彼氏のことは好きだよ」

「なにそれ」

「ほんとに」

「あなたがそう思うならいいけど」

「………」

「気をつけなね、そうやって我慢してると、いつか爆発するんだから」

 でも、と依子は加えると、それまで必死にパスタを依子の口に運び続けたフォークを置いて私を見た。

「いま、わたしが向かい合ってるのって、あなたの言語可能力だから」

「え?」

 言語化能力という言葉を、誰かの口から聞いたのは初めてだった。

「言葉って、その人の一部だから。脳内の劣化版ってこと。それ見て私が偉そうに判断することでもないでしょ」

 じわっと涙腺が緩んだような気がするのは、気のせいだろうか。

 昨日、そんなニュースを見た。人間関係のトラブルで、高校生が同級生を刺したという事件のニュースだった。被害者の生徒は、中学校の卒業アルバムから引用した満面の笑みの顔と名前が公表され、明るく優しい子だったと囃され、その一方、加害者の生徒は名前も顔ももちろん公表されず、論われた特徴は、小さい頃から人との関係を好まず、ホラー系のマンガばかり読み、そんなことばかりだった。

 私はふと、加害者の生徒に心底同情していることに気がついた。もしかして、あなたも、私と同じなんじゃないの、と。あなたも、あなたという人間を周りが説明しやすいような特徴だけ取り立てて紹介されてきた人種なんじゃないの。口から他人の幸福エピソードが飛び出てこない人間を、周りの人間が「性悪」「悪口しか言わない」さらには「彼氏もDV予備軍」と、見えもしない何かの実態を迷いなく語ろうとするように、そこの同級生をナイフで突き刺してしまったあなたも、それを正当化するように「根暗だから仕方ない」「ホラーマンガばかり読んでいたから仕方ない」と、誰の目にも映らない他人の想像世界の中を強制的に生きさせられてきたんじゃないのかな。

 とても健やかな論理だ。

 幸せなエピソードが口から出てこない人間を、性悪。

 根暗な人間だったから、殺人者。

 そういう人間はどこで息をするといいんだろう。この世の多数が納得できないという理由だけで、マジョリティの都合のいい解釈の中を生きていかないといけない人たちって、どれくらいいるんだろう。みんなが自分はそんな人間じゃないということを誇示するためだけに用意された理由って、どうしてこんなにも簡単に人の心を殺してしまうのだろう。



「でも好きなんだよね」

 ふと漏らした私に、依子は呆れながら「わかったよ」とほほ笑んだ。

 依子と友達になろう、と決めた。