2022年と小説のはなし。

2022年になりました。


がやがやしたところで過ごすのが好きではないので、今年は家で寝ながら新年を迎えようと思っていました。「今年もいい年にしたいです!」なんて言う人の眩しい笑顔も見てられなくて、テレビもつけませんでした。


と思っていたのですが、大学卒業後の生計の支えにさせてもらっている、大学生時代から働いているバイト先の常連さんに幸運なことに誘っていただきまして、なんと先斗町の割烹屋さんでお料理とお酒を頂き、そこで年を越しまして、


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そのあとはタクシーで連れて行ってもらって、下鴨神社で初詣してきました。


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京都は雪がかなり降っていまして、極寒の中でしたが、大学を出て同級生などの様々な人脈が切れた中でこうして初詣に誘ってくれる人がいることになにより感謝です。


2021は初のフリーター生活に挑んだ(挑んだという心構えではありませんが)年であり、確定申告のために様々な雇い主を回って源泉徴収票を集めるのに苦労したり、複数の雇用先から年金を重複して天引きされていつ返ってくるのか分からなかったり、そんな社会人としての様々な手続きが苦痛で仕方ない自分に気がついたりと、新たな発見も多かったように思います。その矢先に人生が暗転したわけですが、暗い話を新年にしたくないので、そっちは年末の記事を参照してください。


www.mattsun.work



今年一年もきっと、バイトや日雇いの仕事を持ちながら、合間の時間で文章を書く生活が続くと思います。就活する気も、院試を受けてみる気も、はたまた、かつて失敗した医学部受験に再挑戦する気もありません。


ここで「文章」といってもその表現はあいまいです。今まで詳しく書いたことがなかったので、その文章媒体の話をしようと思います。


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普段文章を書くのは、このブログと小説においてです。文字比率で言えば小説が七割以上を占めるでしょう。初めて作品をかき上げたのは大学四年の時でした。コロナ渦で一人論文を書くのがきつすぎて、もっと一人一人の心情が反映された文章を書きたいと思ったのがきっかけでした。この一歩が、人生を変えたと思います。

1作品目

1作品目に書いたのは『救済の資格』というタイトルの作品であり、高校時代に同級生の自殺を未然に防ぐも「死にたかったのになんてことをしてくれたのだ」と言われ、精神科への入院を続けるその同級生を見て真の救済が何か分からなくなる男の話を書きました。これは、自死遺族の会を自分が実際に訪ね、この人たちが仮に自殺を止められたとしたら本当にそれは幸せだったのだろうかという疑問が上ったことがきっかけでのストーリーです。


今読み返すとなんとも稚拙な文章であり、しかしそのテーマにおいては未だに心を揺さぶられるものがあります。音楽で時代を思い出す、みたいな諺がありますが、同じように、自分の作品を振り返るときも、これを書いたときの心情が思い出されます。ああ、救うということが分からなくなって心情が破綻していたなあ、と。

2作品目


次に書いたのは『溺れる死にがい』というタイトルでした。実際に卒論を提出した後に着手し、去年(2021)のすばる新人賞に応募しました。結果はもちろん選考落ちです。この作品で書いたのは「自殺者を減らすために、自殺遺体は国が焼却処分する」という法が制定された日本での話を書きました。法の制定のきっかけとなった自死巻き込み事件の被害者の息子(以下A君)の同級生を主人公にし、A君が最終的に亡くなった"自殺者が平成ゼロ"の町では何があったのかを徐々に解明していく構成に仕上げたものです。


この頃は特に「自殺は悪である」「自殺する人間は殺人罪を適用するべき」といったような意見に僕が過敏だったのです。実際に梅田の飛び降りの巻き込み事件があり、その度に、自殺のじの字も知らない人たちが自死者を叩くコメントを目にさせられて正直辟易しました。この僕の作品を読みさえすればそんな考えを持っていたことが恥ずかしいと思えるような作品にしたく、町の風土から社会の目までなるべく細かく表現することを心がけました。卒論で書いた内容も、その参考にした文献も、全部その詳述に協力してくれました。

3作品目


大学卒業後に初めて書いたのが『遺書を履く』という作品でした。今までの2作品は約13万字前後、文庫本では300ページ弱となる分量のものだったのですが、当作品は18万字を超え、文庫本にして400弱のページ数にのぼります。製作期間も4か月かかりました。4.5作品目も後に続きますが、その中でもこれを超える作品を書けないような気がするくらいで、今までの自分が詰まった作品になりました。


大方のストーリーは、大学を卒業後に就職した企業で出会った婚約者を原因不明の事故(自殺かどうかも不明)で亡くしたことで退社し大学院に入学、狂ったように自殺者の遺書の研究を行う男を主人公にし、その主人公が自殺者遺族を実際に訪ねる時に「遺書を履かせていただけませんか」と口にする真意を徐々に具体的にしていく構成にしていくというものです。愛する人が亡くなる悲しみをそのままの出来事として捉えただ誠実に弔いたい気持ちの反面、自分には何ができたか、自分はどうするべきだったか、そして自分は何を思うか、その私心を混ぜてしまうことへの罪悪感と苦しみをもつことの葛藤をテーマにしています。


分量が多くなったため応募枚数の制限をクリアした公募賞がなく、唯一、制限原稿用紙枚数が600枚の松本清張賞に応募しました。ただこれは新人賞ではなく、プロアマ問わずのオールラウンドの賞なので、結果は目に見えているでしょう。

4作品目


次に書いたのが『ゴエツ・ドウキュウの毒』でした。『遺書を履く』がかなりヘビーで体力を使ったので、文庫本150ぺージ程度に収まる短めの話を書きました。あらすじをかいてしまうと読むのが面白くなる話なのであらすじはありません。正直、出来は悪いです。これも群像新人賞に応募しましたが、手応えはないです。

5作品目


今も推敲中なので完成していません。『モノから生まれた者へ告ぐ』というタイトルで、快感の行為に溺れただけで生まれた子供に大人は何ができるかを問う作品にしたいと思い書き始めました。背景には、反出生主義という、子供を産まなければ子供の不幸はない、すべて親のエゴで子供を出産することはどのように判断されるべきだろうか、という疑念を払しょくしたかった思いがあります。異常性癖と語られ自死を選んだ少年と、その少年を救えなかった児童シェルターの開設者、その事件がさらには、シェルター開設者の息子の参加するディベート甲子園にまで影響を及ぼして...……という話です。


小説への態度


今まで書いた話は以上で、合計すると70万字くらい。ブログも合わせると約100万字ほど書いたことになるのではないかと思います。もちろん金になりません。でもきっとこれは辞められないだろうという感覚があります。


僕はそもそも、自分の文章でお金を稼ぎたいと思ったことがありません。もちろん、買ってくれる人ができることがあるのならそれ以上の喜びはないですが、しかしそれが目的ではありません。賞をとれないことも、一生本では稼げないことも、自分にとっては大した問題ではないように思います。小説を書くとは全て、自己陶酔の手段でしかないからです。


自殺を考え続けて、はや5年になります。きっかけはもちろん高校の同級生の死でしたが、それにより学部変更を志したこと、様々な遺族の話を聞いたこと、その全てをもってしても、ではあのとき自分の身近で死んだあの友人をどのように心に落ちつけるのかという命題は未だに発展途上です。命の大事さを説いておきながらそれを追いやる者が裁判では敗訴の兆しを見せぬこと、自殺を防ごうと言いながら死にたい誰かにまだこの世は優しくないこと、不幸はいつも茶の間のニュースに流れるくせに、それが自分の身に降りかかるとはだれも思っていないこと。死という形に直面するとき、その多くの自己矛盾を片付けられないことに必死になる自分は、常にその文学性や哲学性をありのままに説いてくれる他の誰かに救われてきました。ならば自分もそれを与える側になりたいと思って常に文章を書いています。しかしその「与える」という言葉の矛先は、ほとんど自分に向いているのが現状です。僕は常に、あそこの誰々を助けたいと思って小説を書いていないのです。一つの疑問が頭に浮かんだとき、処理しきれないそれが脳内で暴走するのを何とか止めるために書いています。それで金が発生するなんて端から思っていないし、極端に言えば、誰一人の評価も必要ありません。


ただ、自己陶酔をオープンに行うこと、それだけは可能なのです。自分による自分のためだけの自慰行為が誰かの視界に入ったときにそれが化学反応を起こすことはあり得ます。僕はそれを目指しているだけなのでしょう。あくまで新人賞の受賞はその可能性のうちの僅かな一つであり、その可能性だけが本を書く目的では決してないのです。もちろん、自分の作品は自分で必死に守ります。読ませてくれと言われても知り合いでない限りポンと渡すことはないでしょうし、しかしこの世の不幸は、それを一度経験してしまった者のその後の自慰的なセルフケアを偶然の機会で目にするだけでその何パーセントかは和らぎます。それだけで、すでに生まれてしまったことの絶望は少し消えます。その繰り返しでやっていくしかない人生が、僕は好きなんです。


就活も院進も、はたまた、いつしか失敗した医学部受験、それらを今やろうと思えないのは、それがどうしてもいつでもできることのように思えてしまうからです。もちろん、大学を卒業してすぐにそれらの道を志した者と同じ経験が自分には欠落するでしょう。しかし、そうした安泰の進路の目的が安定した金銭の収入であったり、何らかのスキルの習得であるならば、僕はそれに到達するのは30や40でいいと思えてしまうのです。それが今である必要性をどうしても感じられず、代わりにあるのは、この自殺という、生物の進化の末の形としてはあからさまに不自然で矛盾を抱えた死の形に対する漠然とした畏怖を処理する禊の期間に埋もれて生きたいという訳の分からない本能でした。そこには、亡くなったかつての友人のその若さを無駄にしたくないというような贖罪の念もあれば、日本人特有の同調性に流されずに生きることで自分を感じられるという尖った青二才のポリシーなんかも含まれます。


だから書き続けるのだと思います。


僕にとって書くということは、即ち何かを疑問に思うということであり、疑問に思うとは即ち、抱えきれない不安定な秩序を目の当たりにするということです。少しでも外を歩けば視界に入る何かを言葉にしたいと思う感覚は、今後自分の体から一生消えて欲しくないものです。


ちなみに、新人賞で一次選考を通過する(だいたい最終までに選考は4段階くらいある)人口比は、野球人口の中で甲子園に出場する人口比にほぼ等しいらしいです。もちろん野球の練習をするのなら、甲子園を目指してみたらいいでしょう。もちろんそれも一興ですが、でも僕がそれより好きなのは、愛したいと思うのは、本当にセンスの欠片もないくせに、チームすらできていないくせに、川の土手でずっと毎日素振りをして、それでも全く球が打てるようにならないことに絶望している人間なんです。その人は決して甲子園の土を踏むことはないでしょう。逆転ストーリーだなんて言って、そんなやつが甲子園に出場するドラマに感動するほど僕はありがたい夢を見ていられません。でもそんなバカをたまたま土手を通りかかったやつが見て、あんな下手くそがずっと練習してるんだから俺も甲子園に出られないくらいで野球をやめる必要はないかな、なんて思える、そんな奇跡のような出会いもまたあるのです。僕はそんな奇跡の出会いを見たいし、そんな奇跡の出会いを書きたいし、そして、それを書くことを諦めないことに、何億以上も価値があるこの今の若さを使って生きたい。


2022はどのような年になるのか、想像もできませんが、書き続ける人生のよい助走地点となれるような年にしたいです。


よろしくお願いいたします。