働くこと、そして、人を助けるということ【前編】

仕事をやめました。


2021卒で大学を出て、バイトで生活を食いつなぐも、今後の様々な可能性を考えて資金をためておくという意味でできることをしておかねばという思いで仕事を始めていました。ちょうど二か月ほど前からです。派遣会社を仲介して紹介してもらった、飲料メーカーの営業職の補助の仕事でした。


それを、一週間くらい前にやめました。


理由はシンプルに鬱です。


ちょうど11月の初めに、大きな波が来ていて、それは二週間くらい前に書いたと思います。僕は常に、死ぬこと、この世から消えることを苦しみの救済策として心にとどめている節があり、それが爆発した時に闇に堕ちます。その話は、今はあまりここではすべきではないと思うので以下の記事に飛んでください。


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すると、この記事を読んでくださった方が、Twitter経由でメッセージをくださり、精神科に行った方がいいとの言葉を頂きました。三人もです。個人満足のためだけに書いているブログですので、本当にありがたいことです。


実を言うと、僕は、精神科という場所自体をもともと信用していませんでした。薬で死にたい気持ちを治すということ自体に抵抗があって、そもそも今の自分の状況は"治す"べきなのかという問いすら答えは出ておらず、そのような哲学及び文学的な思考が眠る自分には、メディカルな対処がどうしても正解とは思えなかったためです。


とはいえ、対立の位置にいる者の意見を聞かずに自己の位置を判断することの危うさも当然認識していたので、精神科にかかることにしました。精神科にかかるのは神経症を診断された2020の春ぶりで、緊張もありましたが、しかし治してもらおうという気持ちはさらさらなく、医師は自分という人間をどのように判断するのかという興味本位の方が勝っていたような気がします。


そこでしっかり鬱状態を宣告され、診断書を書いてもらって離職したというわけです。朝は6時過ぎに起きて帰るのは20時になる日もあり、ただ資金をためておくという理由だけで生活の全エネルギーを職に回す生活ははっきり言って何も面白くありませんでした。それに、自分の社会性を差し出して得る金に価値も見出せていなかったのも事実です。


情けない気持ちになりました。京大の同期は就職なり大学院なり着々と未来への駒を進める中、自分は派遣紹介の仕事すら二か月で断念せざるを得ない人間なのだという刻印を一生背負って生きていくのだろうと、目の前に光が見えませんでした。



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では働くとはなにか、ということを考えさせられます。それは果たして金を稼ぐ手段なのか、人を喜ばせる手段なのか、はたまた社会への修練の場として用意されるべきものか。そのどれもに答えはなく、各々の触感に最も適する答えがあって良いのだということは知っています。しかし自分は働くという行為自体に違和感が拭えません。それは即ち、「働く」ということと「他者を助ける」ということの解離性です。この二つは、今の時代を生きる者にとって、ほとんど別の意味に分離したのではないか、その分離による心狭さ、窮屈さ、そうしたものが、"就職"という肩書き社会から自分を遠ざけているような気がするのです。



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二か月で離職したとはいえ、収穫もあったのは事実です。営業職の補助ということで、毎回正社員の一人にトコトコとついていくわけですが、そのついていく人は勤務日ごとに別の人になるので、初めての人には、僕はこう聞くことにしました。


普段、どんな人を助けているという感覚で仕事をしていますか?


派遣の紹介でやってきただけの人間にこんなことを聞かれてさぞかし変人だと思われたことでしょう。しかし人によりその答えが違ったことに自分は感銘を受けました。ほとんど半々の確率で「助ける?どゆことや」と怪訝そうな顔をする人と「○○かなあ」と答えてくれる人に綺麗に分かれたのです。


前者は即ち、助けるという意識なしに働いている人間であり、後者は助けることの手段として働いている人間ということになります。ちなみに後者の○○には、実際に職の中で出会う顧客の存在だと答えた人もいれば、家族のためという人もいて、唯一ひとりだけ、仕事もせんと暇で気が滅入るから仕事は自分を助けていると答えてくれた人もいました(独身の人でした)。


そうであれば、やはりこの職場でも、他者を助けるということと働くということがちょうど二分化しているのだなという感覚を受け取りました。この感覚は、京大にいた頃から感じてきたイメージにマッチしました。同世代で集まれば「どこどこの企業のランクは」みたいなことばかり話している人間と、将来こんな人に寄り添いたいからこの仕事がしたいと語る人間も、やはり半数ずつくらいの確率で観測してきたからです(前者の人間も就活になれば「誰々を助けたい」みたいに言うと思うので、そもそも、その判別自体にたぶん不備はあります)。


だから僕は今の社会で、以下のようなベン図が存在すると思うわけです。


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真ん中の重なる領域にいる人間もいれば、そこからはズレて一番左の領域に位置する人間もいる、というのを、かつての大学時代や先日まで在籍していた職場で僕は確認してきたというわけです。


ではそこで気になるところで、一番右の領域に属する者は何者だろうか、という話です。


働いていないが、誰かを助けている(という感覚がある)人。


僕の記憶は、かつて一人旅をした際にまで遡ります。


2019の大晦日でした。18きっぷを使って紀伊半島を一周していて、紀伊勝浦で食堂に入った時のことでした。さすがに大晦日だからか客は少なく、いるのはカウンターに座る外国人のカップル一組のみでした。僕はそのカップルから一席空いた場所に座っていると、店主にあるお願いをされました。横の客の注文が分からないから、通訳できないか、と。英語は苦手だったので不安でしたが、Googleの画像検索なんかも駆使しながら何とか意思疎通に成功すると、店主も喜んでくれて、礼にと言ってクジラの竜田揚げをくれました。


このとき、僕の通訳は労働でも何でもなく、むしろ自分は消費者側の立場でしたが、しかし不便な誰かの生活を助けるということには一瞬ですが成功したわけです。そしてさらに言えば、クジラの竜田揚げという、その対価まで勝ち取ってしまったわけです。


このようなことは、一人旅をしていれば多々あります。街灯などない夜の熊野古道をライトで案内しただけで老夫婦は熊野神社で肉まんをくれたし、愛媛の下灘という駅近くの海岸道では、後ろから追いついた車が良かったら乗っていきなと声をかけてくれました(この場合自分は何も助けていませんが)。


こちらの方が、僕にははるかに居心地よいと感じられて、そして、こうした"労働者"という肩書きなしの瞬間を重ねることでも全然生きてゆかれるということを肌身で感じ取れたことこそに、この経験の一番の価値はありました。労働せずとも、助けること、それだけで生きてゆくことは出来るのです。日本にはいくらでも余った土地があり、数多の人がいて、知るのもおぞましいと思うような性質を持った人間もいます。その野生性の中を生きてゆくとき、労働者という肩書きは必要なく、自分が今まで感じてきた様々な「困った」がまだそこらに溢れていることを知り、その「困った」の1%くらいは一人の力で緩和できることを知り、通訳、竜田揚げ、肉まん……それらの物的交換を介して生活をするということ、そのむき出しの善意に身を委ねて暮らすということ、これほど貴重な命のやり取りは、今果たしてどれだけの人が経験しているのでしょうか。


そう考えたとき、将来に何の苦労もないようにと健全に暮らしてきたはずの我々が構成する社会において「働く」ということの意味が見えてくる気がするのです………。



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