人としてどのように”腐るか”を我々は選択できる

僕は成長するということをあまり良いことだと捉えていない。


ここで言う成長とは、「何かを行うにあたりそのスキルが上昇すること」ではなく「人が歳を取ることで様々なことを知り、行動の可能域が増えること」という意味合いだ。つまり例えば、学校で社会の科目を習い続けた結果、社会の知識が増えることで大学の社会科目の試験で高得点が取れるようになることは良いことのように思えるものの、社会を知ったことで我々の社会は全く公平ではないと知り、我々がいかに人々の屍の上に成り立って生きているのかということが分かる、というようなことを満点の笑顔で幸せだとは頷けない、ということだ。


歳を取るということは不幸な事なのではないかと思い始めたのは、実は小学校の時のことだ。僕は中学受験の塾に通っていて、確か国語の先生だと思う、はこう言った。

「誕生日とは死に近づくだけのイベントで、それを羨ましいと思えるのはあなたたちが幸せだからだ」

それを初めて聞いたときには意味が分からなかった。それまでの自分の辞書に、誕生日を不幸なことだと捉えるような出力機能を僕は持っていなかった。そのように言う先生を見て、この人はなんて卑屈な考えをするんだろうと思って、僕はなんとなく距離をとりたくなった。添削なんかも、この先生のところにはいかないようにした。


でもその意味は、僕が大人になるにつれて徐々に分かっていくのである。


人の誕生を祝うのは素晴らしいことだ。その誕生自体が奇跡だからだ。でもそれを奇跡だと言えない人がいる。明らかに貧しく治安の悪い地域に生まれた子供に「あなたの誕生は奇跡」と簡単に言うことが我々にはできない。それなら生まれてこない方が良かったと思う人がいて、それは本人の努力なんかではどうにかならないからだ。日本にいるとあまりに幸せな国だからなかなか気が付かないのだが、そういう人の方が世界では多数を占めているという事実を思ったとき、弱者を踏み台にしている我々の誕生とは何か、そう考えざるを得ない。


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子供とはなにか、と聞かれた時、リスクを省みない生き物だ、と僕は答える。


見たことがないものを見たときには何でも口に入れたくなったし、乗ったものがないものを見たときは乗せてくれと駄々をこねた。体調に異常が出るのではとか、駄々をこねることで母親に疎く思われるのではとか、そんなことを子供は考慮に入れない。


しかし大人になるとそうしたことを考慮に入れられるようになる。これを始めても社会は認めてくれないとか、今はそんな時代ではないとか、つまり社会を知ったことでやらない理由を見つけるのが得意になった人間の行動域は狭まるより他にない。無限の可能性というものは、他者から見てはあっても自分の中に維持し続けるのは非常に困難だ。


そう言えば、似た話題で、好きなツイートがあったので掲載しておきます。



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ここまで述べると僕が何を憂いているかがなんとなく伝わるのでは、と思う。


人間は社会の中の物差しからは逃げられないということ。


それは大人になる度に周りの評価に怯えるようになる人間もそうだし、誕生日を迎えるのは不幸なことだと考える人間もそうだ。しかし、今この二つの例を挙げたけれど、そこには若干の違いがあると思っている。社会の物差しによって人が内面と外面のどちらから腐っているかが異なっていると思うのだ。


前者のような人は、行動しようと思うものの「これをしたら周りに嫌われるか」とか「これをしたら何と言われるか」みたいなことが気になっていて、自分の存在を他者の視線の中に見出している。他者の視線なしに生きられないという意識が強いタイプの人間だ。こうした人を「外側から腐る人たち」と表現する。


すると後者の人間はそれとは違うことに気付く。誕生日を迎えるのは不幸な事なのではないか、死に近づくとは何だろう、誕生を祝えない気持ちは何だろう、そう考えてしまう心理は、社会の学習により様々な世界があることを知った者の所有物だが、社会の視線に怯えているわけではない。むしろ「誕生は奇跡だ!」なんていう幸せな社会の視線などそっちのけで自らの中の黒い塊を必死に見つめ続けているのであり、僕はそうした人間を「内側から腐る人たち」と表現できると思う。


腐る、と言うと良いイメージのない言葉だが、腐ること自体は良いことだと思っている。大事なのは腐った後に何が形成されるかだ。例えば筋トレは、トレーニング中には筋肉細胞が破壊されて、しかしそのあと形成される筋肉細胞がさらに成長することで以前より逞しい体つきが生まれている。それと同じだ。様々な思考で自分が腐っているように感じるが、その後からついてくる新しい価値観がその人の血肉になる。それでいい。


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僕はまさに内側から腐っている真っ最中である。外側から腐る人たちにはなれない。そこまで他者のことを考えたくないし、めんどくさい。ただそうやって他者の視線を拒み続けたことで現れてくる内側からの腐食は全て自分で受け止めねばならない。


社会で行きながら腐らない人間などいない、と僕は思っている。


だからその腐食がどこから来たものなのか、みたいなことを僕は知りたくなる。


でも滑稽なのは、自分の腐りをどのようなものなのかと類推している自分が歩んでいる道こそが、まさに腐食そのものであるということなのだ。