"できない"を伝えること

大学を卒業してから進路がないので、バイトは当然、生活に必須のライフラインとなる。これをなくせば破産の道が待っていて、生活保護まっしぐらだ。


そんなバイトで、かなり気がかりなことがあって、その問題が最近、ようやく解決された。


大学二年生から続けている、飲食店のバイトだった。かれこれもう二年半働いていることになる。ちょっとおしゃれなチーズの料理がメインの店で、個人経営、そこまで広くない店なので毎回一人でシフトに入っている。


入って当初は良かったのだが、大学で学部を変えてからの自分の心の変動を経るに、接客がどうしても心に負担がかかる場面が多々あった。心の調子が良くない時には内省的な思考にふけることが多かった自分はお客さんの様子に気が付かないことが多くなった。なにか目立つようなミスではなかったからお客さんを怒らせるようなことはほとんどなかったが、「ドリンクの注文が入る前にグラスが乾いているのに気づく」とか「メニューを見ているので注文が入りそうなことを察知して卓に近づいておく」とか、そうした気遣いの部分がどうしてもできない日があった。


店長はそうしたところを大事にする人でもあったので、あまり周りに気が回っていない自分を見ては、「お客さんの様子を見といてな―」とか「こういう時にはこうするようにしてなー」とか、そんな風に声をかけてくれていた。これは接客レベルを上達させてほしいという自分への期待であると分かっていただけに、それが苦しくなってしまうことが増えていた。「すみません、できないんです」とは言えなかった。僕がちょっと周りに気を配ればいいというだけのことなのに、それに言い訳をするのは違うと自分に言い聞かせるも、しかし状態など改善しなかった。店長も、かなりイライラしたのではないかと思う。



あと、さらにしんどかったのは、店長の常連さんが良く来ることだった。これ自体は何も問題がないのだけれど、その常連さんも優しい人ばかりなので、バイトの自分にもよく声をかけてくれる。すると当然、「今何回生なの」とか「何の勉強をしているの」とか「進路はどうなの」みたいな話題に当然なる。


この時間がかなり嫌だった。「自殺の勉強をしています」と素直には言えなくて、「心理学とか社会学ですかねー」なんて言って、心の中ではお願いだからそれ以上深掘りしないでくれ、と祈る。進路のことも、「フリーターになっちゃったんですよー」と笑って答えるけど、その理由は聞かないでくれ、と心で祈る。


自分が暗い雰囲気になってお客さんのムードを壊すのも嫌だったから、こうした話にならないのが一番だと思ってお客さんから距離をとって一人でできる単純作業をやるようにした。でもそうすると店長からの「お客さんの様子見といてなー」という言葉が飛んできて、しかしそれに「できないんです」と言えない僕はただ謝り続けていた。あまりに同じことの繰り返しで、どうしたらいいのか分からなかった。


そうして最近、バイトに行くのもかなり億劫になって、賄いをもらう食欲もなくてすぐに帰ってしまった。シフトを変わってもらえるかと後輩に頼んで、しかしここまでになった以上、店長に説明しないといけないと思って、腹を括った。



直接会って話すべき内容だったけれど、文章にまとめた方が今はやりやすいと思って、LINEで送った。大学で転学部した理由、それから心の不調が多かったこと、接客が辛い時があること、そうしたことを全て打ち明けた。


返信はすぐにしていただけた。自分の状況を送るだけでもかなりの長文になったけれど、それに負けないくらいの量の言葉をかけてくれた。



とにかく、話してくれてありがとう、と。僕のことを誤解するところだったし、何でそうなるのかって言うのを知れるだけでだいぶ違うから、話してくれたことが一番良かった。勇気のいることだと思うけど、信じて話してくれてありがとうと、何故か僕が感謝された。その文面を読んだときに、この人に相談したのは間違いではなかったと心から確信できた。


正直、疑っていた。どんな過去があるとしてもそれは僕の心の持ちようで変えられることだし、そういう準備をするところまで含めてバイトだと言われれば僕には言い返すことはないから、その時は潔くバイトを辞めようと思った。それは怖かった。どうしても自分には変えられないことを変えられると指摘されるのが怖かったからここまで黙ってきた。



『嫌われる勇気』に、自分の課題と他者の課題を分離せよという話がある。「自分の行動で変えられる部分にのみ集中せよ」という主旨の話であり、それが初めて実戦的に分かった気がする。


自分の行動で何かを変えられるとしたら、今の状況をしっかりと相手に伝えることだ。それを今回自分は行った。しかしその結果の相手の反応は自分にはコントロールできない。今回のように理解ある店長だったから心から救われたが、あまり理解のない人間だったら「そんなの知るか、ちゃんとやれ」と言われていた可能性はいくらでもあった。そう思う人の方がまだこの世には多いかもしれない。でもそれは自分にはどうしようもないことで、そうなったらもう潔く辞めるしかない。



自殺の話も、助けてもらうサインを出すのは怖いことだと何回もブログで書いてきた。援助希求は難関の業だ。誰にでもできることではない。課題の分離が万人に出来るなら問題ないのだろうが、そうはいかない。否定されるのが怖いという尻込みの気持ちがそれにストップをかける。


ただ一つ言えるのは、"できない"は勇気を出して伝えてみるといいと思う。その先にそれを否定してくるような人間がいればそれはそいつの問題で、あなたは何も悪くない。全然理解してくんねえじゃねえか!て怒っていいと思う。それが出来れば苦労しないと言われるのは分かっているけれど、それでも「まず言ってみる」ということは無駄じゃない。



声を上げることのできるマイノリティと、声を聞いたときに手を差し伸べられるマジョリティがどれだけいるかにかかっている。勇気が分配できるようになればいいのになあと、思うばかりだ。