京都大学卒業にあたり ―私の体はどこにあるのか―

京都大学を卒業した。学生の身分を終えた今、見えたものを大事にしようと飛び込んだ総合人間学部の二年の期間は一瞬で過ぎたように思う。


この2年の間、就活や院試の勉強に自分は励むことなく、卒業した後には無職の道をたどることになった。直接の原因としては、2020年の3月に病気をやって、いろいろ追いつかなくなったから。しかしこれはあくまで建前だ。就職にも院進にも全く心が惹かれていなかった自分には、病気という名目でそれをサボることができたから万々歳だった。


親の扶養を外れる手続きを取り、年金や保険などを払う準備をすると、心が竦む。晴れてフリーター。普通に失敗なく就職すると思ってた。3年前くらいまでは。



総合人間学部では2年間、自死を研究し続けた。自死遺族の会に参加したりデュルケームの著書を読み漁ったり、色々なことが懐かしく、鮮やかに記憶に残る。初めは、モヤモヤした自分の心の霧を晴らすためなのか、日本の現状を変えるべくこの分野に取り組もうと思っているのかも分からなかった。自分にとってそれはただの誘惑であり、自死という分野に何か漠然と惹かれただけで、高尚な意識などあったわけではない。



もう少しで、高校3年生の時に友人を自死で亡くしてから、5年になる。長かったものだとも思うけれど、しかしその期間を経て自分が得たものを振り返れば、まだまだ足りないと感じさせるような、生々しい口渇感がある。僕が京都大学で得たものは何だろうと振り返ると、それはたったひとつだ。



私の体は私である、という意識。



何を当たり前なことを、ときっと思われるはずだ。でもこれは、得るには相当難しい感覚だと思う。



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首吊りは、実は全く苦しくない自殺方法らしい。窒息する時に息が詰まるような感覚は苦しいと思われがちだが、首吊りでの死因は頸動脈が圧迫され脳に酸素が行かないことによる酸欠だから、すうっと意識が消えて苦しくないらしい。


死にたくなることがよくあった。一番危なかったのは、上に書いた知識を得てタコ足配線を手にした時に、ありかなと思って、近くの山に出かけようと靴まで履いた時。でも一人っ子に死なれたらさすがに親がきついだろうと思ってやめて、彼女を呼んでしばらく泣いたら何とか収まった。


そういう時、もう生きるのが辛いから死なせて欲しいと思うわけだが、それはつまり自分の生死の決定権は自分にあるという主張であり、私の体は私のものだ、勝手にさせろ、ということだ。


なんて悲しい考え方だろう。正常な時には「それはダメだ」と自信を持って言えることなのに、ダメな時には「いいんじゃね」になって、ふと命を奪おうとする。



ではこれを読んでくれている全ての人に聞きたい。



私の体は私のものだろうか??



この考え方の一番悲しいところは、私の体と、私の間に距離があるところだ。私の体は私の"所有物"の範疇を出ないから、どれだけ私に近づけても、私にはならない。


だから僕がタコ足でくくりたかった首は、僕ではなくて、僕の所有物でしかない。そのまま勉強していれば建築士になれる未来を諦め、将来の道の見えない学部に移籍して自殺ばっか考えた、その二年間が得た所有物。希死念慮。過去への罪悪感。この世からの退場の意思。


そうした所有物としての客体は殺せても、所有する主体は殺せない。それは心の奥底では生きたいと思っている自分の意思だ。デカルトみたいなことを言っている。思う我は疑いようがない。


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嫌いではなかった飲食店のバイトに行くのが億劫になったのは、半年前ほどからだ。来年からどうするの?みたいな質問を、バイトの僕にも普段から優しくしてくれる常連さんから、当然される。



バイト先では店を閉めたあとでも、常連の方と店長が楽しそうに、酒を片手に語り合っている。そこでは人々の個性が混じり合い、その化学反応による空間が形成されていて、見ていてとても羨ましい。


その常連さんたちは、ハイボールだけを求めてこの店に来ているわけではない。仕事疲れを癒すために、その店ひとつひとつの雰囲気から生み出される全ての空気感を求めている。もし店長がいなくなってしまえば、ハイボールの甘さは消えて苦くなり、常連さんのボケにつっこむ人もいなくて少し白けて、小さな窓に飾られるマリモも、すぐに枯れてしまうだろう。


そうした個性が生む空間には、果てしない責任の重さも含まれている。常連さんの前にハイボールが置かれればいいわけではないからだ。ボケへのつっこみとマリモまでセットで酔えるハイボール、だから。それはその空間に対する責任である。


バイトの常連さんも、「京大を出られたらきっといいご就職先に」なんて僕に言ってくれる。「いやあ、それが」と言って僕は笑って説明する訳だが、その言葉には責任がない。僕の手と口からは生み出される空間がない。次から次に未来をモノにする友人の中で一人だけ、僕の未来だけがずっと不定形だった。


来年は院試受けるんですか、就職するんですか、なんて何回聞いただろう。面倒だなって思いながら、全部適当に答えた。その度に、僕は自分の体の所有権を社会に差し出さないといけないような気持ちになって、いたたまれない思いがした。僕は、周りに見せる肩書きとしての僕の体を周りに譲渡しなくてはいけない気持ちになったのだ。


確かに、分かる。将来に対して責任を持つ生き方は善とされるし、誰の反感も買わない。親も安心するし、将来の家庭も安泰だ。だからそれに最も近く辿り着くための手段は就活なり院試勉強であって、無職で自由奔放に過ごすことではない。しかしそうした社会的安泰への近道をどれだけ丁寧に歩いたとしても、「僕の体は僕のもの」にしかならないということを、体が感性で訴えてきていたのである。


勉強をすれば、何かの資格が取れるかもしれないし、就活すれば、何かの職での地位が得られるかもしれない。しかしそれらは全て「僕のもの」であって「僕」ではない。


自分は、これに逆らうことが、激しく苦手な人間なのだ。嫌なことでも飲み込むとか、未来のスペックのために今の自分を犠牲にするとか、そんな我慢の先に上達するのは我慢の所作だけだと思って生きてきた。死ぬ前に「我慢が本当に上達したなあ」なんて思いながら死ぬのだけはごめんだ。



僕の体を僕の"もの"にした時に、いったい何が見えるのだろう。なるべく周りに迷惑をかけず、なるべく周りに気に入られ、なるべく高い地位を求めた先に出来上がった僕の体は、僕のものではあっても、僕ではない。僕の心には、多分重ならない。



ではなにが僕の体なのかと言えば、言うべきことは生きているうちに言わねばと思えて感情がすぐに口に出て様々な人に迷惑をかけながら、それでも言えない奥深くの本心には口をつぐみ続ける、そんなあまりに不器用な人間になった自分の姿を何とか受け入れ、自分の中での心の解離を文字に起こして書き続け、時には府の図書館で本を読みふけっては、気が付けば2か月で300ページの小説を書き終えてしまうような、そんな自分なのだ。そうした一日を終えたときに、初めて、「私の体は私である」になったのである。これが、自分の中で心と体が重なり合った瞬間であり、この過程を永遠に一人で進んだとしても、それは孤独ではない。直接的なコミュニケーションはなくとも、本の作者、こんな自分でも応援してくれる人たち、図書館の整備員、はたまた道路工事のおじさんまでもが間接的な支援者になり、私の体が私になるのに協力してくれる。私の体が所有物でなくなる瞬間に解放と快感を覚える。



今まで勉強してきて、自死のケースを数多く見るに、この過程が少ないことが多いと思った。私が私になれる人は死なない。私の手から生まれる私の責任が私に重なる人間が、一番美しい。



人が自分で死のうとするとき、もしくは人が自らの意志で人生を終える権利を訴えんとする時、その人にとってその人の体は所有物になっている。自分で切り捨てる対象として自分を見ている。それはつまり「自分で自分の人生を切り捨てる」という自己決定権の有様を問うことになるが、しかしその自己決定の末に待つのは、死によって自己決定ができない未来の自分である。そうした明らかな矛盾をも矛盾と感じさせないような魔の力が自死には潜んでいる。



だから僕にとって、やりたくないことをやることで自分の所有物を増やすのは、自死に似ている。


だから僕には就職もできないし、院進もできない。それにより生まれる責任が、僕の"もの"だから。


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いつだって、この世で生きることが出来るのは殺す側だ。すっと過去を消化できるのは、相手をぞんざいに扱った側だ。


亡くなった友人にかつて脅迫文まがいのメールを送っていた人間は、今も法学部(こんな人間が法曹に??)で勉強ができている。かつて彼女に「おまえは結婚相手に見えない」なんて言えて傷つけた頓珍漢な男も、そんなことは綺麗に忘れて今も暮らしているだろう。



ましでくそだ。理不尽。



悪びれず謝る気もないそのクズたちを忘れようと、避けられない雷に打たれたようなものだと何とか過去を消化しているのは遺族側。嫌になりすぎて、僕はこんな不条理な世の中から早く退場したかった。


でもそうやって死神に体を操られそうになる度に、「親がかわいそうだな」とか「所有物としての自分の体」をふと冷静に俯瞰できて、何とか思いやめる。私の体が私になる瞬間の喜びで何とか誤魔化してきた。この感覚は、抗うつ薬なんかよりよっぽど効果があった。


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感謝をしないといけない人がいる。



まずは、両親。


関東から京大に行かせてくれと頼んだ時も、転学部させてくれと言った時も、留年しろという親の要請に刃向かった時も、ほぼ喧嘩みたいな形になりながらも最後には思いを尊重してくれた。僕の体が僕になるのに、一番に貢献してくれた人だ。
あまりに振り回したと思う。今ももしかしたら、次は何が来るかとビクビクさせているのかもしれない。「お前には人生の軸がない」と父に言われた時も、「あなたの人生経験で人の心が動かせるの?」と母に言われた時も、悔しさで泣きそうになったが、意見の衝突なしに和解はない。衝突の場を用意してくれることが一番の幸せでもある。


次に、彼女。


今までの僕の心理的ストレスを全部吸収してくれた。彼女の1番に素晴らしいところは、人間をフラットに見れるところだと思っている。多くの人なら、他人の障害的な側面を見て「うわ、こんな悲しい一面がある。困ってるんだろうし、配慮しなきゃ」となるところで、彼女は、「え? 善も悪もないただの人の一側面じゃん」と感じてそこにフラットな愛情を向けてくれる。相手の地位をまず下げてからそれを救うための優しさは、救われる側からしても苦しいことが多いけれど、彼女と接する中ではそれを感じない。こういう人の前でこそ初めて素直になれる。息苦しくて窒息しそうになる社会の中でのオアシスだった。


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だからもう少し頑張ってみる。


一生バイトでもいい。男として情けないと罵られてもいい。


小学校に通っていた塾のスローガンは、「出てこい、未来のリーダーたち」だったけど。

通っていた高校は、東大合格者に目を光らせるような高校だったけど。


そうした一切の僕にとっての"所有物"としかならないものを追う行為をやめ、僕が僕の体に重なることに人生を賭ける、ということだ。



親に感謝の意を伝え続け(欲を言うならお金も返す)、僕の体が僕になる形での自立(欲を言えばお金が欲しい)をなんとか目指してみる。


明日生き延びれば明後日もたぶん生きられる。


京大の卒業、及び、友人を亡くして5年となるこの春は、あとから振り返った時に落ち着いて帰ることの出来る"丘"になっているだろうか?


なっていてほしい、ではだめで、するしかない、のだが。