男性にとって女性は”報酬”なのか【前編】

最近、性の対立構造について考えることが増えた。長いこと考えてしまうと、それは大層生々しい気持ちになって後味が悪い。


別に、男と女というそれだけの話なのに、生々しい感情になってしまうのはどうしてだろうか。それは未だ自分が、男性と女性の関係を「加害と被害」の関係で多く捉えているからだと思う。


ではそれは何故だろうかと振り返ると、僕が今まで、ジェンダーとセックスを多く混同してきたことが一つの原因として考えられる。ジェンダーとは社会的な性を指し、即ち「働くのが男」「家で料理をする者が女」といったような役割で分けられる性である。それに対しセックスとは生物学的な性であり、種を植える者と受け入れる者といった役割で分けられる性を指す。


この二つは本来全く別の考え方であるはずだが、それが交わりあう場面は多々あるはずだ。男性と女性を加害と被害の関係で見ると、それが浮き彫りになるように感じる。


ジェンダーの加害

ジェンダーに関する加害と被害の関係と言うと、自分が真っ先に思いつくのは「お母さん食堂事件」である。ファミリーマートのお母さん食堂という商品は多くの人が知るものだろうが、それに対して「お母さん食堂という名称は、料理をするのが母だけだという固定観念を与える恐れがあり、性に対するイメージをもっと自由にしたい」という思いのもとでの署名により、商品名の変更を求める声が上がった。


diamond.jp




これを初めて聞いた時には、意味が分からなさ過ぎて唖然としたのを覚えている。鈴木食堂という食堂があったときに「鈴木さんしか料理してはいけないのか!」と突然キレ散らかしているようなもので、こんなクレームがまかり通るなら言論の自由は一瞬で消え去るだろうと感じたばかりだ。



しかし、この事件を処理するにあたり、「それは質の悪いクレームだ」というだけで片づけるにはあまりに早計だ。これも一種の加害と被害の関係であり、今回のケースで言うなれば「お母さん食堂というネーミング」が加害者であり、「性による役割分担が強すぎる」と感じることになった高校生たちが被害者だ。


セックスの加害

ジェンダーに対して、セックスの加害にはどんなものがあるだろうか。犯罪として思いつくのは、レイプであったり職場でのわいせつ行為、痴漢など。しかし犯罪に限った話ではない。付き合った男が最悪だったとか、好きだった女が不倫したとか、そういった話までが、セックスの加害として考えられる。これらはジェンダーの加害とは違い、進化における生物学的な本能による欲望を抑えられなかったことによる関係だ。



中高一貫の男子校を卒業し、イケイケサークルなどにも所属しなかった自分には、こうした話題がはるかに無縁だった。ヤリサーとかそんな言葉は概念でしかなく、浮気や不倫、性風俗なども、まるで実感が湧かない。



しかし唯一心当たりがあるとすれば、現在付き合っている彼女の元カレに対しての不快感である。詳しくは書かないが、「お前とは結婚できない」とか平気で言えて、あとから彼女も「何であんなのと付き合ったんだろう」と思えてしまうような存在だ。付き合うという無契約の行為には少なからずセックスの関係が伴うため、この自分の不快感はジェンダーよりセックスの関係と言った方が適切である。



こうした自分はあくまで誠実な男だという自負を抱いてきたが、しかしこのような境遇にいることによるデメリット(というか、女性性に対する勘違い)も多くあった。それは、主に後編で述べる。


加害しないことは当然ではない

さて、このようにセックスとジェンダーにおいて加害と被害の関係を振り返ったが、これらの共通項をあぶりだしていきたい。それは、加害の恐れのある行為を全て排除することが改善策として最善ではないということである。



ジェンダーに関して言えば「お母さん食堂」というネーミングを排除すること、セックスに関して言えば結婚まで性交渉は禁止するという決まりを作ること、などが考えられるが、これは最善策ではない。なぜなら、それは加害の恐れがあるもので楽しむことができている人間の享楽までもをすべて奪うことになるからだ。



例えば、お母さん食堂という名前はそこまで女性にとって不快なのかということが疑問に上って知り合いの女性であるAさんに聞いてみたところ、

「え、全然不快じゃないよ。っていうか、それくらいの料理を振舞える人間に、私もなりたいよね。だって冷凍に負けてられないじゃん(笑)」

と答えてくれた。このように、お母さん食堂というネーミングが全く不快でなく、しかもそれによりインスピレーションを受けている女性もこの世には存在しているが、お母さん食堂のネーミングが消えてしまえば、このAさんの感情まで消すことになる。それは果たして健全な社会かと言われると、素直には頷けない。


セックスの方も確認しておこう。こちらの話題に関しては、以下のブログを参考にさせてもらった。

davitrice.hatenadiary.jp

 性的同意についてはNo means Noが盛んに主張されるようになっており、「相手からの明示的な同意が得られない限りは手を出すべきでない、相手がNoと口にしたらすぐに手を引っ込めるべきである」という考え方はフェミニズムに触れた男性たちの間でも浸透しているはずだ。

 しかし、実際のところ、No means Noが通じないときもある。ほんとうはYesである女性がNoとウソをついて、さらにはそのウソを男性側が見破って手を出してくれることを期待する、ということもあるのだ(あった)。とはいえ、大半の場合には、やっぱりNoはほんとうにNoを示しているのであり、男性は手を出すべきではないのだろう。

 もっとも厄介なのは、イジったり茶化したり、押し倒したりウソを見破って手を出したりしたほうが、それらの行為をおこなわなかったときに比べて、相手からの好意を得られたり相手との関係が深まったりする結果につながる場合があるということだ。

こう述べられているように、加害の恐れがあるものにより与えられる享楽をすべて無視することは、セックスにおいても吟味が必要だ。



つまるところ、加害の恐れがあるものを全排除することは最善の策ではないということである。というか、全排除など出来ない。


性の話題に限らず、我々が発話によるコミュニケーションをするとき、自分の発した言葉で相手を傷つけるリスクがあるからと言って一切の言葉を発するなと言われるとそれはおかしいと誰もが分かるはずだ。


では、加害の恐れがあるものを、我々は指をくわえて見ていないといけないのだろうか。



【後編】へ続く

www.mattsun.work