黒い春と、怖かったコーチ

今年の春も、黒そうだ。二年連続で、黒い春を迎えようとしている。


部活動、二回目の引退。僕の部活生活は、二回目も続かなかった。


一年目は、言うまでもなくコロナと、あとは病気になったことで練習にもあまり行けなかった。


二年目は、コロナと病気が収まり就任した女子部コーチを、辞めた。本来だったらあと半年続くはずだった。


女子部の主将に、あなたと話していると論理的にねじこめられているようで苦痛だと言われ、これは打つ手がないと思い辞任した。話し合いをしようとも、話をする時のあなたの論理が苦痛だと言われると、僕はただ苦痛を与えに行くだけのストーカーになってしまう。体調管理を行わないとコートに気軽に行けないこのご時世、卒業まで同期とテニスをすることも、もうきっとないだろう。


おかしいな。卒業前って、こんなに寂しい思いをする時間帯だったっけ。



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中高一貫の私立高でも同じスポーツの部活を続けていたが、ささきコーチというコーチがいた。



とても怖いコーチだった。口の上にはひげが生え、練習の合間には水道近くでタバコを吸っていた。でもテニスはとても上手くて、左利きの、本当にしなやかなフォームで球をさばく人だった。



コーチは、指導がとにかくスパルタだった。強豪校から見たら大したことはないのかもしれないが、合宿では六時起床で10キロ走らせた後、サービスコートの隅のミニカーに直径数センチのボールを当てるまで、朝食はとることは出来なかった。


僕も、今でも鮮明に覚えている。運動中の声が足りなかった時に、そこに正座をしろと言われてそれは何時間もずっと続き、耐えられず足を崩したときには「誰が足を崩していいと言った」と言葉を浴びさせられた。


かなり、苦痛だった。筋肉痛もすごいし、なんせ今まで小学校時代には勉強しかしてこなかったようなヒョロガリばかりだ。部活の意味すら分かっていないのに、拷問のように感じられたこともあった。



だから、当時僕は中学生だったが、最上級生で指揮を取っていた幹部の学年は、これに反発した。あなたのコーチのやり方には我々はついて行けない。この学校のスタイルには合ってないので、コーチをやめて欲しいと言ったらしい。幹部とコーチの間にどのような会話があったのか、まだ中学生だった自分には分からなかったが、上級生の反発でコーチは辞めるらしい。と、その情報だけ伝わってきた。



それが決まった後の日のことだ。コーチは、部活中であった僕と、僕のペアを呼んで、最後に言葉をくれた。今でもこんな出来事を鮮明に覚えているのは、その言葉に、少なからず心を打たれたからだろう。



「お前たちは絶対に(実力が)伸びるから、もう見てやれん、ごめん」



コーチは、涙ぐんでいた。ヤンキーみたいな恰好なのにその涙があまりに似合わなさ過ぎて、僕たちはただ頷くだけで、返事などできなかった。



僕は右利きだったが、当時ペアを組んでいた同級生は左利きだったのもあって、そのコーチはこのペアを特に面倒よく見てくれた。左利きと組んだときの心構えと言って、僕には「死に球処理班」と名付け、他にも「三分の二作戦」とか分かりやすく名前なんかをつけながら、ペアに合った知識を多く提供してくれていた。もちろん、その裏での指導はとても怖かったのだけれど。



この涙の意味が、今は10パーセントくらいは分かる気がする。



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ちなみに、ささきコーチの辞任を求めた最上級生の中で、一人だけ、「やめさせるのは違うだろう」と声を上げる人がいたらしい。M先輩という人だった。M先輩は、上位番手を占めるほどテニスが上手い部員ではなかった。それなのに10キロを毎朝走りたいのか何時間も正座がしたいのかは知らないが、ただ「それは違う」と声をあげていたらしい。


かっこいいと思った。


僕だって、もっとスパルタ指導をしてほしかったわけではない。こんなの、なんの意味があるんだと思いながらコーチに従っていた。でもそのコーチが辞めるのに違うと声を上げる姿に惚れた。自分がもし最上級生だった時に、同じように行動できる自信なんてなかった。


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大学の卒業まであと二週間ほど。バイト以外には、一歩も家から出ない生活で学生生活を終えようとしている。そんな中、ささきコーチに会いたい、とふと思った。高校では都で128本に入るのが精一杯だった弱小部員が、大学では近畿準優勝まで登りつめられたその功績を、今最も自慢したいのはささきコーチだ。あなたがしごいてくれたおかげで今の自分があると、堂々と胸を張って報告しに行きたい。



辞めることになったあの時、ささきコーチがどう思ったのかは知らない。最上級生の間でどんな会話があったのかも知らない。だけど今振り返ると、この事件で大切だったのは、コーチと学生間での練習内容の齟齬なんかではないと思う。つまり、ささきコーチのスパルタ具合をいかに和らげるかが論点ではなかったと思うのだ。



ささきコーチは部活の実力向上という一点の目的に絞って指導をしていた。決してスパルタに苦しむひ弱な学生の顔を見て楽しみたかったわけではない。それは、あの涙が証明している。


それに比べ、最上級生も同じように、部活の実力向上という一点の目的に絞ってそう判断したのだと思う。やりたくない苦痛な所作を経てまで楽しんで部活を運営できないと判断したから、コーチに解任を迫ったはずだ。



だったら、分からないではないか。この先、何かの結果を出したいという思いで未来を作ろうとしている人間は、分かりもしない未来への手段を「間違っている」と断言できるほど、傲慢な生き物でよかったのだろうか? ささきコーチのやり方が結果的に良い結果の未来を招かなかったとしても、その年長者の手段に対抗できるほど、高校二年生の決断は尊重されなくてはならなかったのだろうか?



最も尊重されるべきは、M先輩の選択だと思う。練習は、一種の心中のようなものだ。この方法がどんな未来を招くかは分からないが、しかし「この方法でやったれ」と、腹を括って人事を尽くした先に天命を待つのだ。この人事の種類の数々の提案に、正しい選択が出来るほど我々は成熟していない。



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当事者での話し合いを進めるよりも先に、まず多くの第三者に話してしまうような女の子だった。



練習内容に始まり、それは僕のパーソナリティの部分にまで及んだ。それを聞いて「お前のことこんなふうに言ってたよ」と第三者から聞くたびに訂正するその労力がしんどかったため、「僕のことはまず僕に話してくれるか」と言い続けたが、「できない」と言われた挙句、「あなたは女性の話の中の感情を理解できていない」と指摘される結果となった。



女子部のコーチは、半年間ほど無償で行ってきた。しかし、第三者の誤解を解く時間を使うために引き受けたわけではない。何も見返りなどないが、この状況下でまだ部活に熱を投じたいと思うのならと思い引き受けたコーチは、「話し方が論理的で苦痛」という理由でその幕を閉じた。



協力ってなんだろう。卒業前にこんな思いをするために、ほぼ一回の休みもなくテニスコートに足を運んできたのだろうか。



ささきコーチは、今の僕の状況の正解を、教えてくれるだろうか。