安楽死を認めるか―過去の事件とその各論―

死ぬ権利はあるのかという疑問は、自分の中で答えが出ないままに膨れ上がってきたように思う。答えが出ないと分かってはいるが、それでも納得できる一つの自分だけのロジックくらいは持っておきたい。


様々な文献を読む中で、特に安楽死を認めるべきかどうかという論点を多く考えたので、これについて今日から数日かけて記したいと思う。


その上で、過去の事件などからその経験を学んでおくことは必須だろう。今回は、東海大学川崎市の病院で起きた安楽死事件をまとめておくことにする。


引用はWikipediaから行っていて、まずいのは承知だが、自分が文献を読んでの理解と相違がなかったため、ブログで書く分には目立って問題はないと思い引用を行った。


東海大学安楽死事件

事件概要

患者は多発性骨髄腫のため、東海大学医学部付属病院に入院していた。病名は家族にのみ告知されていた。1991年(平成3年)4月13日、昏睡状態が続く患者について、妻と長男は治療の中止を強く希望し、助手は、患者の嫌がっているというフォーリーカテーテルや点滴を外し痰引などの治療を中止した。長男はなおも「早く楽にしてやってほしい」と強く主張。医師はこれに応じて、鎮痛剤、抗精神病薬を通常の二倍の投与量で注射した。

しかしなおも苦しそうな状態は止まらず、長男から「今日中に家につれて帰りたい」と求められた。そこで助手は殺意を持って、塩酸ベラパミル製剤を通常の二倍量を注射したが、脈拍などに変化がなかったため、続いて塩化カリウム製剤20mlを注射した。患者は同日、急性高カリウム血症に基づく心停止により死亡させられた。翌5月にこのことが発覚し、助手は塩化カリウムを注射したことを問われ、殺人罪により起訴された。なお、患者自身の死を望む意思表示がなかったことから、罪名は刑法第202条の嘱託殺人罪ではなく、第199条の殺人罪とされた。

裁判において、被告人側は公訴権の乱用として、公訴棄却もしくは無罪の決定・判決を求めた。

Wikipediaより引用)

判決

横浜地方裁判所は平成7年3月28日判決で、被告人を有罪(懲役2年執行猶予2年)とした(確定)。判決では、医師による積極的安楽死として許容されるための次の4つを挙げた。

1患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
2患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
3患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
4生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること

また、名古屋高裁に「もっぱら病者の死苦の緩和を目的でなされること」、「その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうること」という要件は、末期医療において医師により安楽死が行われる限りでは、もっぱら苦痛除去の目的で、外形的にも治療行為の形態で行われ、方法も目的に相応しい方法が選択されるのが当然であろうから、特に要件として必要はないとした。

そして、本件では患者が昏睡状態で意思表示ができず、痛みも感じていなかったことから1、4を満たさないとした。ただし、患者の家族の強い要望があったことなどから、情状酌量により刑の減軽がなされ、執行猶予が付された。

川崎協同病院事件

事件の概要

1998年11月2日に当時58歳の男性患者が気管支喘息重積発作から心肺停止へ陥り川崎協同病院へ搬送される。患者は1984年に川崎ぜんそく公害病認定を受けており、病院到着後の一次救命処置により心臓の拍動に再開を認めるも低酸素脳症から意識障害は回復せず、人工呼吸器を処置され入院する。自発の呼吸再開を認めて11月6日に人工呼吸器を外すも、気管内チューブは留置する。11月11日に医師が抜管すると呼吸状態に悪化を認めて窒息の恐れから再度挿管する。この間に医師は「患者は9割9分9厘植物状態になり、9割9分9厘脳死状態である」と説明し、家族は患者の気管内チューブ抜去に同意したとされる。

11月16日に患者の妻子と孫が集まる病室で、医師は当該行為で患者が死亡することを認識のうえで、気道確保のために患者気管内へ経鼻的に挿管されたチューブを抜去する。患者は予想に反して身体をのけぞらすなど苦悶様呼吸を始め、医師は鎮静剤セルシンドルミカムを静脈注射するも鎮められず、同僚医師へ助言を求める。その示唆に基づき筋弛緩剤ミオブロックを集中治療室から取り寄せ、3アンプルを看護師に静脈注射させる。注射後の数分で呼吸が、11分後に心臓の拍動がそれぞれ停止して患者は死亡する。本件は翌日に院長へ報告され、院長は当該医師から事情を聴取して本人に反省を促すも処分せず管理会議へ報告していない。

判決

横浜地方検察庁は、医師の行為は殺人罪にあたるとして起訴した。刑事裁判においては、医師の行為が刑法上の殺人罪にあたるかが問われた。

2005年3月、一審横浜地裁判決は、被告医師が治療を尽くさず「家族の真意を十分に確認せず、誤解に基づいてチューブを抜いた」などとして殺人罪の成立を認め、被告を懲役3年執行猶予5年とした。

2007年2月、二審東京高裁判決は、患者の意思が不明で死期が切迫していたとは認められないとしたが、家族の要請で決断したものであったことを認定し「それを事後的に非難するのは酷な面もある」として、当時の殺人罪の量刑としては最も軽い懲役1年6ヶ月執行猶予3年に減刑した。

2009年12月、最高裁第三小法廷は、「脳波などの検査をしておらず、余命について的確な判断を下せる状況にはなかった。チューブを抜いた行為も被害者の推定的意思に基づくとは言えない」と、法律上許される治療中止には当たらないとして、被告の上告を棄却し高裁判決が確定した。尊厳死などの延命治療の中止を巡って医師が殺人罪に問われたケースで、最高裁が判断を示した初のケースだったが、延命治療の中止が許される要件については示さなかった。

二つの事件より


日本では安楽死は認められていない。つまり、東海大学の事件の際にも書いた以下の四つの条件を満たさない限り、それは殺人罪として罪に訴えられる。


1患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
2患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
3患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
4生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること


どれもが欠けてはいけないということだが、それに反対の意見も上がっている。つまり、例えば本人の意思が確認できなかったら、どんなに苦痛にもだえる姿でも指をくわえて見ていないといけないのかという問題である。たとえ死がすぐそこに迫っているとしても、だ。


この二つの事件は、日本の中でも比較的大きかった安楽死事件のように思う。川崎病院事件の医師が、「延命措置の中止は殺人か」と問うた本の一節は、以下の記事でも紹介している。


www.mattsun.work



まず、自分の見解を述べる。この二つの事件は、どちらもれっきとした犯罪だ。情状酌量の余地はあれど無罪にするのはおかしいと自分は思っている。その理由は、次回以降の記事で述べようと思う。ただこの話には様々な観点で書かれた話が必要であり、主に「自己決定」という面から考察する。



安楽死記事、観点別まとめ


以下、安楽死を日本では認めてはいけないという自分の意見の概略記事である。


Ⅰ 自己決定の観点より①

自己決定にあたり、決定を下す心と体の距離感についての考察

www.mattsun.work



Ⅱ 自己決定の観点より②

自己決定にあたり、その言葉自体の意味は厳密に正しいかの考察

www.mattsun.work


Ⅲ 自己決定の観点より③

自己決定にあたり、その能力の考察

www.mattsun.work






P.S.


ドクターデスの遺産という小説をつい最近読み終わった。



安楽死を合法とする殺人犯を捕まえようとする刑事の中の「この事件で誰が不幸になっているのか」「何を罪としなくてはいけないのか」という葛藤がありありと描写され、生々しい。三日で読み終えてしまったが、それに対する我々の意識はもっと長く機敏になっておかないといけないとも思う。ここしばらくは、安楽死をまとめていこうと思っている。