論文なんて、やめちゃえよ。

ちょうど少し前に、卒業論文の審査会が終わった。Zoomで15分間喋って、学部の学系の先生に聞いてもらい、その後簡単な質問をされる。


あまり面白いイベントではなかった。今年、卒論関係で人と話したのは、研究室のコピー機を借りた時だけ。それ以外は全部オンラインでの会話だ。


しかし、オンラインに助かった部分もある。たまにはもちろん人と話したくなるけれど、基本は一人で家にいるのが好きだから、つまり自死のテーマをずっと時間も忘れて誰かと話し合うみたいなことは、コロナがなくても多分しなかった。だから、テーマを見つめることができたと思えば、この自粛期間は、そこまで自分にとって悲劇の生活ではなかった。



ただ、卒論審査が終わった今、気持ちはこの一色に染まっている。



やっと解放された。



もう論文を書かなくていいという事実に安心している自分がいる。周りの人と比べたら、特に院生の人なんかと比べたら出来の悪いものしか作れなかったが、それでもその駄作のまま終わらずに修論にも挑戦しなくては……!みたいな気持ちが、全く湧かない。



誤解して欲しくないので、まずいくつか断る。



一つ目は、総合人間学部での学びは、自分の求めるほぼ理想形の形を求められたということである。初めはわざわざ工学部の進路を諦めて得た進路だ。そこで退屈するなら、それこそ何をしてきたのか分からなくなる。勉強というのは、とても面白い。大好きだ。しかし、学んだことのアウトプットとして「論文」が求められるのが、しっくりこなかった。


二つ目は、論文を書かなければ得られなかった経験も数多くあるということ。例えば自分の発表資料は何回も周りの方のアドバイスで修正されていき、そこで「こんな本あるよ」とか「こんなこと聞いたことあるよ」という助言のおかげで出会った価値観に、自分は大きく影響されてきた。だから、論文を書くという所作に猛烈な嫌悪感があるわけでもない。



なのに、しっくりこないのはなぜなのだろうか。




総合人間学部の四回生の、「卒論審査が辛い」というコメントとか、公聴会を覗きに来てくれた院生の「ピリピリしていてお腹痛くなった」というコメントとか、そういうものが多く目に入った。勿体なくないだろうか。好きな学部で、好きなことを学んで、それを第三者に伝えるのだ。


それはまさに初めての遊具で遊んだ小さい子供のように、目をキラキラ輝かせて「あのねあのね、聞いて聞いて」と、そういうものにはなれないのだろうか。



僕らが取り組む論文はいつの間にか、卒業に必要な手段として消費され、だから大人に審査されるという形に怯えていないだろうか。


僕は怯えていた。


僕の書いた自死に関しての論文はあまりに拙くて、自死を100としたら0.5くらいしか分かっていないような文章で、しかし一生懸命に書いた。転学部してからの二年間は自分の馬鹿な感情を追い続けたものだったから、自分でも欠陥が多いと分かっている文章に向けられる、「この文章は○○ですがどう思われますか」とか「この矛盾点はどう解決されますか」とか、そういう質問に僕は怯えていたのだ。



僕は、転学部した時には、「自死に向かい合って二年勉強し、卒業するときには論文として一つの集大成を作る」と決めていた。もちろんこの頃は論文の「ろ」の字も知らないド素人だった。



なのに今こうして論文を書き上げてしっくり来ていないのだから、僕ははっきりと気が付いた。



自分は論文ではなく、感想文が書きたかったのだ。



自死を考えるうえで、僕は何のロジックも必要としていなかった。というか、ロジックで解決できるものではないから苦しかった。小学生の読書感想文に、日本語の用法などを指摘する人はいても、「同じような感想は過去に出ている」とか「この感情の出典はどこか」とか指摘する人はいない。「そう思ったんだね、私はこう思ったよ」と、それだけでうんうんと頷いているくらいが、自分にはちょうど良かったのだ。



だからきっと、僕は自分のことしか考えてこなかったのだろう。誰に何を伝えるためとか、これを解決するためとかではなく、ただ自らの自由な納得にこの二年間を割いてきただけのである。だからそんな人間の書いた文章が「論文」になるわけがない。ただの感想文だ。



でも、逃げられない。卒業論文は、卒業するために書かないといけない。



だから、書いた。



まるでそれが論文に見えるように、元の感想文の語尾をちょっと厳しめの口調にして、感想文の出典をちゃんと書いて、引用の分はそれっぽく斜体でかっこよく導入した。僕は、僕の感想文を、論文という名の化粧で美しく見せようとした。かなり厚化粧にすることを心がけたと思う。



だから、卒業審査という名の、卒業のための通過儀礼は、突然降ってきた雨のようなものだ。化粧を容赦なく落としてくるから、感想文であることがばれそうになる。僕の傘は小さかったから、大きな雨粒には対応できない。雨を降らせる雷神様も、かなり意地悪だ。化粧をしているところにピンポイントで水滴を飛ばしてくる。



その後に雨が上がって、化粧を守りきれたかなと思って鏡を見たら、やはり無様なほどに自分はすっぴんなわけだ。このすっぴんの顔こそが自分の素で、自分からしたらもっとも美しいもののはずなのに、しかしそれはなぜかみすぼらしく映る。「傘を持っておけばよかった」と、自分を責める。



みんな、化粧が上手いんだよなあ。



僕は、すっぴんで戦えるところに行きたいんだ。それだけなんだ。



まだまだ未熟だった僕の頭は、論文には一歩も追いついていなかった。人生はほんとうに、大変だ。