自殺の犯人が、見つかった。

――子供には人並みに生きて欲しいと、親なら誰でもそう思う――


人並みとは、果たして何か。


とにかく、僕は普通にならないといけなかった。周りに自分の経歴を話したときに、誰にも「え?」と言われないような。ちょっとでも誰かから「なにそれ、へんなの」と言われたら、もう終わりだ。誰かからそう指をさされてしまえば、僕は、普通じゃない。


「人並み」という概念は、世の人間を縦に並べることで初めて成立する。まさに頭の中に浮かんでいるのは「序列」という名のピラミッド。その中で中間層くらいの位置には入らない限り、世の中から「普通」認定はいただけない。


それはそれは、巨大な社会の物差し。常に人々は社会に測られている。



くそくらえ。



この物差しこそが、自死の犯人だ。


測られているという感覚は、苦痛以外の何物でもない。自分は定規からはみ出た人間だと、そうしたレッテルは社会の中での恥の意識を喚起し、社会的に心を蝕む。人はそれで死に至る生き物だ。癌とかと同じだ。死に至る病だ。「逃げ場所を求める」ことが免疫になるが、その免疫を持っているかどうかは人により違う。「自分で何とか出来るのが普通」とでも言おうものなら、それもまた凶暴な物差しだ。それがまた人を殺す。


普通、人並み、全て人を縦に並べることで得られる発想だ。そんなもの、やめにしないか。もっと、人を横に並べないか。


我々は、人生の階段を上っているわけではない。上に上に行こうとするから、ある人がその時に位置する「高度」こそがステータスになる。「僕はこんなに高いところに来たのに、まだ君はそこにいるの?」と。


そうではなく我々は、本当に平坦な草原の様々なポイントをめぐっているにすぎない。もちろん、ポイントによって辿り着く難度の違いはあれど、そこに行くかどうかは個人の決定によるもので、その各々の決定に優劣はない。人の豊かさを決めるのは、ある人がそこまで歩いた「総距離」だ。「高さ」じゃない。


社会が見るのは、「高さ」ばっかりだ。褒める対象も「高さ」だし、貶す対象も「高さ」だ。



「こんな高さまで来れてすごいね」って言って欲しいのではない。「ここまで頑張って歩いてきたんだね」って言って欲しいのだ。

「あの高さまでは行ってほしい」って言って欲しいのではない。「この先も頑張って歩くんだよ」って言って欲しいのだ。



高いところに行くことに全くわくわくせず、どんなに低い掃き溜めのようなところでも、そこで己を表現することに一番の生きがいを感じてしまう人間はどうしたらよいのだ。社会の物差しに一生消費されながら生きていくべきか。




もう何十回と読んだ岡本太郎の著書の言葉である。

戦後、僕が猛烈に闘い始めたころ、親しい友人や、好意的なジャーナリストは真剣に忠告してくれた。
「あなたのようなことをやっていると、この社会から消されてしまいますよ。西洋なら別だが、日本では通らない」(岡本太郎の絵に対して)
随分何度もそう言っていさめられた。僕は答えた。
「消されるなら、それで結構。とことんまで闘うよ」
僕はあの若い日の決意を絶対に押し通すんだ。とことんまでに危険な道を選び、死に直面して生きる――確かに僕は異端者扱いされ、村八分を食らった。しかし、それは逆に生きがいだ。
(略)
もちろん怖い。だが、その時に決意するのだ。よし、ダメになってやろう。そうすると、もっと力が湧いてくる。
食えなけりゃ食えなくても、と覚悟すればいいんだ。それが第一歩だ。その方が面白い。
みんなやってみもしないで、最初から引っ込んでしまう。
それでいてオレは食うためにこんなことをしているが、本当はもっと別の生き方があったはずだと悔いている。


自分の中に毒を持て<新装版>

自分の中に毒を持て<新装版>



物差しをぶっ壊したい。


全員にМサイズの服を着させようとする風潮に、しかし自分にはなかなか合わず「Sサイズが良かった」と思う時、そのことを堂々と表現できるような世界になればいい。


Mサイズの服を着ていくことが幸せだと人は言う。でも幸せを決めるのは自分だ。Mサイズを着ることで幸せを感じる人間になれと言うのなら、それはもう「死ね」に変わらない。



誰の悪気のない「人並み」という言葉や概念が、その言葉に消費されて苦しむ人間のもとに成り立っていると気付かないといけない。


失職も離婚も留年も過労も、自死の犯人ではない。「高さ」で判別されるこの世の中でそれらが「低い」という意味で用いられる言葉であるがために、個人のフェイスがぼろぼろと崩れていくからだ。だから犯人はあくまで、高い低いの基準を作り出す物差しだ。



僕は、人と「今までの総距離」を語る人間になる。


高さで自分を見てほしくない人間と、共に手を組む。


ピラミッドの底辺でもいいから、自分を表現し続ける。



自死を見つめ始めたときから、譲れない核が出来た自分は、本当に幸せだと思う。