自殺を明かす、無慈悲な手順 【前編】

結局、大学生活のほとんどを自死に関して考えることに費やしたから、二年間で何が得られたのか、まとめてみる場はあってもいいと思った。卒論は書き終えているし、余裕があるからその要約をしてみたい。


とは言っても、簡潔にパッと答えを出すようなものでもない。今自分は、「ある程度自死を究明した」と言うような立場ではなく、「学んだことでさらに先が見えなくなった」と言うような立ち位置にいるような気持ちである。それでも、人生の通過点として、なんとかまとめることは出来る。

序章


総合人間学部には、所属する「学系」というものがあって、その学系には理系文系問わず様々な分野がある。自分は人間科学系と言う学系に所属していて、総合人間学部内で人間に関して深めるのはこの学系しかないと思い、学系に関しては大して悩まなかった。しかし、さらにその下の、どの研究室に所属するかというのは、全く決まっていなかった。例えば自死を、心理学からミクロな視点で攻めるもよし、社会学からマクロな視点で攻めるもよし。当時「自死を何とかつかみたい」としか思えていなくて知識もなかった僕は、どこからどう学んでいいか分かっていなかった。


だから、極力多くの場所を覗いた。精神分析ジェンダー論、発達心理学、教育福祉。どれも聞きかじった程度で多くのことを深められはしなかったけど、それでも学ぶ内容は多くが自分の経験につながった。でもその中で、ある本に出会った。



デュルケームの、『自殺論』である。


自殺論 (中公文庫)

自殺論 (中公文庫)



確か、精神分析のゼミで発表の機会をもらった際に、これだけは絶対の必読書だと言って教えてもらったことで知った。タイトルがダイレクトすぎて、すべてが詰まっているような、そう思わせるような本だった。


原本では読めないからさすがに訳書を読んだのだけれど、読む中で、自分の価値観がどんどん変わっていくのが分かった。当時の自分にとっては衝撃的な内容が多く書かれていて、特に印象的だったのは、次の一文であった。


自殺を個人の悲劇として捉える限り、自殺は我々に何も教えてくれない

僕はまさに、自死を個人の悲劇として捉えていた。僕が想像していたのは、苦しみに自らの命を絶ってしまった人々と、その周りで関与していた人々だった。その人々が、どういった関わりを持っていたら自死が防げたのだろうかと、そういったところに目が行っていたのである。しかし、それではもっと自死を見失うというのがデュルケームの主張だった。


この記事を書いている今、僕はその意味を理解できていると思っている。自死を明らかにしたいなら、「死ぬ前に彼はどんなことを考えていたのだろう」「周りにいた人には何ができたのだろう」といった個人的背景は全面的に排除すべきだ。なぜそうなるのかを、しっかりと書いておかないとならない。


予め断っておくと、こうした考えは「自死を明らかにしたいなら」という条件のもとに限る。「自死を明らかにすること」と「苦しみに寄り添う事」は別路線だと考えているからだ。後者に重きを置くのなら、個人的背景は尊重しなければ成り立たない。あくまで、ここから書いていくことは、自死の構造を明らかにしたいというだけの研究者目線で書かれた話だという事を承知していただきたい。


本章


まず、自死と言うものがいったいどういうイメージなのか。ありがちな考えとして以下のようなものを例に挙げてみる。


・戦争や貧困など、不幸である事象が多いほど、自殺が増える

・失業が増えたことで自殺が増えたとき、その対策は失業を減らすことである

・何にも縛られず個人の自由な生き方を尊重することが、自殺を減らす


これらは全て、人々の幻想的なイメージのもとに作り上げられた誤解であるという事を知ることが、自死を解明する上での第一歩ではないかと思っている。


一番上に書いた例は、真っ先に反証素材が用意できる。以下の図を見て欲しい。


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総死亡率及び自殺率の変遷 厚生労働省ホームページより
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/suicide04/2.html



第二次世界大戦が起きていた1940-45年の間、極端に自殺率が低いのが分かるだろう。これで、今我々が不幸なことと思っていることと、自死を簡単に結びつけるのは難しそうだという事がうっすらと分かってくるのではないか。もちろん、不幸なことが自死を増やすことはある。でも、不幸なことと自死の間には、それ以上に重要な媒介変数が潜んでいることに、気付かなければならなかったのだ。


そしてその媒介変数こそが”社会”なのだと、デュルケームは述べている。どういうことか、少し詳しく説明したい。


例として戦時中を取り上げるのが分かりやすいと思ったため、その時代に焦点を当ててみる。今生きている人に聞いて、あの頃に戻りたいかと尋ねたとき、「戻りたい」と言う人はいないだろう。誰もが頭の中で、戦争だけはいけないと思っているはずだ。しかし、戦争を行っていると自殺率は減るのである。なぜなのか。


今この現代になくて、戦時中にあったもの、それはまさに”一体感”なのである。


デュルケームは、自殺率を不幸度を測る指標として用いたが、これでは矛盾があるように感じられる。自殺率の高い現代よりも、自殺率の低い戦前のほうが、「不幸度は小さかった」と言ってしまうことになるからである。しかしこれはまた、デュルケームの観点から言えば矛盾ではないのである。つまりは、戦時下、日本の若者には、この美しい山河を守るためという「死にがい」があり、かつ鬼畜米英を相手にすることで、すべての老若男女が国家により統合され、おかげで戦死や被災と言った「もう一つの不幸」は多くあったにもかかわらず、全体としての不幸度は現代の日本程には大きくなかったという事だろう。


要するに、この時代の社会は、「不幸(戦争)が自殺率を減らす」という媒介変数としての働きを持っていたのである。性別や家柄によって、生まれながらに自らの役割がほとんど決まっており、なぜそうした行動をとるのかというところに答えが出ている社会だった(おくにのため、という意識)から、人は自分の生きる意味を問うような、現代特有の悩みがこの時代には発生し得なかったのだ。そこには現代に見られない社会の凝集性が見られたのである。社会の中の重要な一員として、人々をつないでいた。


だから仮に、戦時中、「日本はもう無理だ」みたいなことを内閣が言い続けていたら、結果は反対になったかもしれない。「日本は負けるのになぜ戦うのか」と国民に思わせては、戦う気力も起きまい。そうすれば社会としての連帯は弱まる。たらればの話は無意味だが、言いたいことは、国民の背景に隠れた社会が個人に何を思わせるのかという事が、自死を考えるうえで重要という事だ。それが即ち、媒介変数としての社会の働きだ。



そして戦争が終わり、現代になるにつれ、国は豊かになりつつ自殺率が上昇していく。


文字数も増えてきたことなので、これ以降の現代の話は、次回に回そうと思う。


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