やくどし。

散々な一年だった、と感じる。


間違いなく今まで生きてきた中で、最悪の年だった。もちろん幸せなことも多々あった。それでも、今年の何かを思い出す時、それはほとんどが悲しい記憶である。


今年一年、医学部の学士編入を受験することを決め、戦ったが、全部落ちた。京大を出た後に、行くところが消えた。

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四年生で部活の引退をするつもりだったが、大会は全部コロナで消えた。仮にコロナがなくても、三月くらいに病気になったから、試合には多分出られていなかった。思い返すと頑張ったと思う。すごい苦しかった。でも、周りの人間にとって自分の都合は関係ない。特に部活の人間にはかなり迷惑をかけた。


春を少し過ぎたころに、祖母が亡くなった。小さいころから無心に愛してくれた祖母だった。せめて結婚くらいまでの姿は見せたかった。その頃は、ちょうどかなり気を病んでいたから、「ここまでこんな愛情を注いでくれたのに、情けない男になった」みたいな感情がこみ上げてきて、すごく泣きそうになった。


この一年、卒論の提出で一回行ったのを除いて、大学では一秒も勉強できなかった。サッカークラブにいるのに、家でずっとリフティングしとけって言われてるみたいな気分だった。勉強自体は好きだから苦ではなかったけど、人と語ることで発見があるみたいな経験は、無かった。


一瞬間くらい前まで風邪を引いた。コロナかと思ってひやひやしたけど、ただの熱だった。でもこれのせいで、本当の最後の部の大会にも出られなかった。大事な時に限って最後の最後で自分の管理ができないことが、本当に情けなかった。




自分の状況を、どん底だとはあまり思わない。成功した人の下積みの時代の話とか聞いたりすると、今の自分の程度の状況でどん底などと言うのはあまりに傲慢な気がする。ただ、今の状況をどん底だとするなら、なぜかここがスタート地点のような気持ちがする。



自分には、「普通に生きたくない」という訳の分からないプライドがある。



他の人が見たら、しょうもないプライドだとか、周りに染まりたくないだけとか言われそうだ。自分でも、そう思う。でも、僕たちは、知らない間に、儚い「普通」に侵食されている気がする。



ちょっと想像してみて欲しいと思うのは、例えば、大学を出た後に就職にも院進にも惹かれない、という人間が、卒業生10人を集めたら5.6人はいてもおかしくないと思う。でも、ほとんどの人間がそうはしない。せっかく京大を出たのだから、と、みんな器用に大企業に就職するし、院に進んでは優秀な修論を書く。本当にすごい。


しかし自分は、そうした生き方にあまり憧れていない。自分は、時間を売りたくない。自分の手で生み出した資産を売りたい。その資産に値段をつけてほしくて、何かの作業の人手として利用されたくない。

(もちろん、就職が価値無い生き方なんて思ったことはない。目標に進む姿は、基本的にみんなかっこいい)


来年からは、そんな生き方がしたいと思っている。


ちょっと、過去のブログの記事を振り返ると、すごい恥ずかしくなる。心理学とか学んだからそのアウトプットとして色々書いたけど、今見返すと、「なんだお前が偉そうに」としか思えない。でも当時は、本気でやっていた。だから、しょうがない。


はじめて、ですます調ではない書き方をしてみた。自分のことを話すときは、この方が、素直になれる気がする。


来年も、何かいいことがあって欲しい。




おわり