医学部学士編入について -2020年の奮闘の記録-

日に日に寒くなり、今年も残すところ一か月少しとなりました。ブログの更新を半年ほどさぼり、久々に書くことになりましたが、それは、京都大学卒業後の進路が決まったためです。その準備に今までほとんどの時間を費やしていたため、ブログにはほとんど手を付けていませんでした。

まず報告すると…

就職でも院進でもなく、医学部の学士編入に挑戦していました。

なぜこの選択を取ったかや、その顛末において大まかなところをまとめようと思い、今この記事を書いています。

医学部学士編入とは?


まずここの説明からしないといけません。医学部学士編入とは、

一度大学を卒業した人間を対象に、途中(ほとんど二年次)からの編入を行うことです。

他分野の専門知識を医学に適応させて更なる発展を目指すことが目的であり、大学の卒業もしくは見込みの人間なら誰でも試験を受けることができます。ただこれを実施しているのは全国でも20ほどの国立大学のみであり、また、ほとんどの大学が5人ほどの定員なのに対し百人以上の受験生が来るような試験なので、相当厳しい試験ともなっています。


そして自分の結果なのですが…

大阪大学 一次〇 二次✖
筑波大学 ✖
滋賀医科大学 一次〇 二次✖
富山大学 一次✖


全敗となりました。残念ですね。


つまり...


来年から無職となりました。(笑)


結果自体はどうこう言っても仕方のないことなので、今はしっかり切り替えられています。来年から何もすることがない以上、今できることは、過去を振り返っておくことなので、もし今後学士編入に挑戦したい人の目に留まるなら損はないと思い、色々書いておきます。

2020の軌跡 ー受験決意から今までー

1月…編入試験受験の決意


受験を決意したのは今年の初めでした。それまでは、医学部でまた大学で勉強しようなんて、1ミリも頭にはありませんでした。


実際、大学を卒業してからは、公務員試験を受けるか院に進むかの二択で悩んでいました。公務員試験を受けるなら、家庭裁判所の調査官補の試験を受けようと思っていて、なにか悩んでいる人の話を聞くようなことを仕事にしようと思っていました。


その頃に、ある方に「医学部編入の道がある」という事を聞いたのですが、そこで何かピンとくるものがあったのです。


このブログでも何回か書いてある通り、自分は大学で自殺の研究をしてきました。そしてそれを、心理学などの方面から考えてきました。ですから、社会関係や人間関係などを絡めたマクロな視点でものを考える能力は養われましたが、しかし個体の機序の視点を無視してきたのです。


例えばこれを読んでくださった人の中にも、、自殺というものが、体の中でどのような物質の増減などにより引き起こされるのかを説明できる人間はいるでしょうか。


いないと思います。精神科の専門家でも、万人の苦しみを消す能力など持っている人はいません。


日本は死体の解剖率が世界の中でも遅れていると言います。海堂尊はこのことを「死因不明社会」と呼んでいて、つまり、日本では「その方がなぜ亡くなったのか」という原因解明から多く目を背けてしまっていたのです。そのなかでも特に自殺を扱うのは難しく、その機序など誰も分かっていないからこそ、

「自殺は罪にすべき」
「誰かに相談していればよかった」

など心無い意見が飛び交います。


そうした背景を踏まえ、いままで心理学など人文科学の分野を学んだ経験を医学に活かし、法医学などの勉強をしたい、と思ったのが自分の動機です。

2月~6月…死に物狂いの勉強と感情


そうして受験を決意してからは、とにかく勉強をするよりほかにありません。


まず、志望校を大阪大学の一本に絞りました。


東大と京大では学士編入の制度がないため、大阪大学東京医科歯科大学の2つが日本ではトップの試験であり、まずはここを目指したいと思ったためです。しかし、TOEFL80点以上の制限がある医科歯科は、自分の圧倒的な英語力の不足により断念し、大阪大学一本になりました。


やることが山ほどありました。


まずは大学の教養の生物、物理、化学が必要でした。建築学科に所属していた時代に物理はかじっていましたが、一夜漬けで終わらせた勉強の記憶などほとんどありません。生物や化学に関しては完全に初見で、初めて阪大の過去問を見たときにはめまいがしました。


河合塾KALSに入塾し(授業料などを負担してくれた親には頭が上がりません)、生物化の全範囲をビデオで学習しました。全てで80コマ、時間に直すと160時間の範囲を二周し、分からない所は参考書を引っ張って分かるまで勉強しました。


さらに3月には心の不調もあり、何回か医者にかかりました。この頃は、何か発散の必要があると思って、ブログにもしました。

www.mattsun.work
www.mattsun.work


医師の方にその勉強は向いてないと言われた時に一番心にキましたが、それでも学びたいことを学びたいという欲には勝てませんでした。


この期間は、1日の勉強時間が10時間を割ったことはありませんでした。コロナで自粛生活だったおかげではありますが。

7月~9月…燃え尽き症候群


こうして大阪大学の試験を迎え、7/4に一次試験があり、一次は何とかパスしました。そして7/27に二次試験があり、ここで一息つきました。ちょうど半年の努力が、終焉を迎えました。


そして8月の合格発表…


結果は、不合格でした。


合格者一覧に自分の番号がないのを見たあとは、なんだか頭がボーっとし、言いようのない虚無感に襲われました。「学ぶなら学力の高いところで」だけ考えていたので、ここがだめなら他でもいいというような考えにはなれず、もう来年は無職でいいやと、かなり投げやりになりました。


阪大が不合格だった時のために、富山と滋賀医科、筑波に出願しており、ここの対策をしないといけないと頭ではわかりつつも、「阪大に行きたかった」という意味のないプライドが邪魔をしました。

はっきり言って阪大レベルの知識が身についているのなら他の大学を受験するのに新たに必要な知識などほとんどなく、力も入りませんでした。テキストをぱっと開ければ「あーこの問題はこういうやつで答えはこう、この時先生はこんなことを言っていた」とスラスラ言えるレベルにまでなっていて、過去問の開示すらないこの試験では、今までの知識をサラッと確認するくらいしかやることがありませんでした。


そして大阪大学の結果の開示が、9月に送られてきました。



目を疑いました。


大体毎年のボーダーは300点くらいだったのに対し、自分の点が301.2点だったので、今年はみんな優秀だったのか、なんて思いながら、最低点を見ると…


301.7


「え、自分じゃん」と思い、しかし何度見ても自分は不合格でした。


面接も含めた0.5点とはなんだ?と部屋の天井に問いかけました。あの死に物狂いの半年がこのような結果で帰ってくるのかと、残酷で無慈悲な世界を見ました。


はっきり言って、半年でほぼゼロの知識からここまで到達しただけで十分にすごいことです。120人の中で11位につけるだけ十分な学力です。しかしあと一歩が足りなかった、自分の実力不足だとはっきり分かるからこそ悔しさが止まりませんでした。

9月~11月…併願校の不合格


そこからは、一瞬でした。筑波は約18倍、富山は約40倍の倍率に、見向きもされませんでした。滋賀医科は、約7倍の筆記の一次試験は通りましたが、そのさらに3倍の二次試験でふるい落ちました。


勉強がちょっとできるだけでは足りませんでした。文系学部卒であるハンデなどを覆すような力はまだ自分にはありませんでした。


恐らく、一番惜しかったのは阪大ではないかと思います。この1年を振り返っても、勉強が一番に輝かしく楽しかったのは間違いなく阪大の試験前でした。

とりあえず、今後


まだここから何をするとか何も決めていないのですが、年内は次のことに集中しようと思います。

①卒論を書く

何も進路がないならわざと留年しようかとも考えたのですが、あと9単位で卒業なのに学費を払うのは馬鹿馬鹿しいと思い、今年しっかり卒業しようと思います。

で、意外とこの卒論が大変です。締め切りまであと2か月ほどなので、頑張ります。

②ブログを書く

ブログを書くのはずっと我慢してきたので、ここでしっかり書いていきます。特に、大阪大学の勉強方法など、落ちた人間でも有意義なことは書けると思うので、自分にできる発信はしっかりやっていきたいです。


ということで、今後のことはまた決まったら書こうと思いますが、年内はゆっくり過ごしたいです。




おわり。