勉強が楽しくない皆さんへ魔法をかけます。

お久しぶりです。コロナの自粛期間にも体が慣れ始め、1日に10時間くらい勉強しては寝るだけのサイクルを続けてかれこれ1か月少しが経ちました。


ブログの更新はほとんど行わず、前に記事を書いたのは一か月ほど前で、二月からは数本しか書いていないのですが、なんとブログのアクセス数はみるみる減っていました。


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ひええええ(´゚д゚`)


更新を行わない期間が長いほどGoogleの認知が悪くなるのはしょうがないのですが、5月から明らかにアクセスが頭打ちになっているので、なんか記事書こうかなと思いつつ、無視していました。今日は久しぶりに勉強を休む日にしたので、機会は今日しかないだろうと思い、書きます。


ここ最近本当に勉強しかしていないので、勉強について書きます。コロナのせいで家で勉強してるだけ、なんて人も多いでしょう。


「勉強を楽しむために自分はどうしてきたか」


この核心にすべて触れてみようと思います。


楽しむために、というよりかはもともと楽しいものとして捉えてきたので、無理やり思考を変えて楽しまなきゃといったような発想になったことは一度もないのですが、勉強が楽しくないと感じている人、勉強に否定的な考えを持っているような人と、考え方が違うな、と思ったことを書いてみます。


もしも勉強が楽しくないと思う人がいれば、この記事をすべて読んだ後に多少となりとも考える機会を提供できると思います。

「具体例」と「法則」の順番を間違えない


アインシュタインの言葉ですが、次のようなものがあります。



勉強とは、学んだことを忘れた後に残るものである



これを初めて聞いたときに、自分が言葉にしたいと思いつつできなかったのはこれだな、という感じがしました。



かくいう自分もこれを説明できるほどの語彙力はなく、たどたどしいものになっちゃいそうなのですが、2つだけ、例を挙げてみますね。

theはなぜつくか?


一つ目に、英語の話です。次の2文を見てください

I go to school.

I go to the shop.


なぜ上では名詞の前に冠詞がつかないのかという事を疑問に思ったとしましょう。大体このように説明されますね。


「学校という『場所』に行くという意味合いではなく、『勉強をしに行く』という意味が強いので、theがつかない」...①


誰もが一度は聞いたことのある説明でしょう。納得できたような気になりますが、では


「店という場所に行くのではなく買い物に行くという意味合いが強ければ、I go to shopと言える!!」


と考え答案に書くと✖がついて帰ってきます。「正しくは、go to the shop か go to shopping ですよ」と。


(^o^)\ナンテコッタイ。。。


ここで面白くなくなりますね。自分も意味が分からないと思っていました。


ではここで、

①のように、納得できるような当てはまる理論を探し、それを他のものに当てはめることで対応していこうという考え

を、「法則を探す」とでも表現させてください。

そしてそうではなく、

②法則が何だか知らんが、1個1個出てくるたびにtheが付くのかつかないのか学んで、覚えた奴だけを実生活で使っていく

という考え方をした人がいたとして、これを「具体例から学ぶ」とでも表現させてください。

我々はどれくらい登ったか?


では次に、急な坂道をドライブしていて、傾斜が10%という旨の標識を見つけたとしましょう。それを見たA君はこう言いました。


「この坂道、10°も上昇してるんだね」


残念…。間違いです。傾斜が10%というのは角度が10°なのではなく、100m進んだときに10m上昇しているという意味であって、数学的に書くならtanθが10%ということで、中身のθが10°という事ではありません。


中学で誰しも三角関数は学習すると思いますが、こんなの学んで何の役に立つんだと思った人も多いでしょう。実生活で三角関数を使う機会などまあありません。僕も加法定理や余弦定理は時間をかけないと思い出せません。


ではここで、坂道ドライブで傾斜率を間違えてしまったA君と、そんな経験は何もしてこなかったB君。どちらが三角関数の授業を楽しめるでしょうか。別にもちろんA君が三角関数を好きになる保証なんてどこにもないわけですけど、どちらかと言えば、A君の方が楽しめそうですよね。


ここで

A君のこの経験は②に似たパターン

ですよね。実際に経験したことをもとに、その表現方法としてtanを学んだわけです。一方、

B君は①より

です。経験があまりないので、三角関数は、なんとか法則をあてはめて覚えるしかありません。


ここまで話して、自分がどういう論で話していくかの予想は皆さんできるのではないでしょうか。まとめると、

①一般的に当てはまると思われる法則を先に学び、この法則を様々な場面で当てはめることで学習する

②具体例を学んで、「この場面ではこれが使えてこれが使えない」を体験して学習する


この2パターンに分かれるよという事です。ここまで整理して、次に進みましょう。

勉強と生活を一体化する


ではここで、我々の暮らしに近い形をとるのは、どちらでしょうか??


もう答えを言ってしまうと、


我々の暮らしに近い形が②で、受験に強いのが①、なんですよね。


例えば、ある人が、リンゴが落ちたのを見て重力を発見したとします。この人はどうやって確かめたかと言えば、「(かかる力)=(重さ)×(重力加速度)」として、リンゴの落下がこれに当てはまるかなというのを確かめたわけではもちろんありませんよね。おそらくいろんな重さのものを落として、実験データから導くに重さと速さは比例してそうだぞと気付き、それが法則になったわけですよね。


つまり、世の中のすべての事象は、必ず、具体例から法則という順番で解明され進化してきたのです。


これが学校ではどうですか???


いきなり位置エネルギーはmgx、なんて言われて楽しいわけないんですよね。ただ、受験で使うのであればmgxを知ってさえいれば事足ります。問題文に書かれているデータを代入して足し引きすれば答えは出てくるわけです。だから受験システムは、②のタイプを押し付けてくることが多いと考えています。実際多くの参考書でも、具体例を詳細に書いてくれているものって少ないでしょう。そんなの多く書いていたら携行できない本になっちゃいます。


でも我々は生活するうえで、こんなこと、とっとと忘れていいんです。


大事なことって何ですか?それは、位置エネルギーがmgxであることではなく、「その物体が持つエネルギーは高さに比例していて、だから大きいエネルギーを持ったものは落ちてきたときにめっちゃ早くなるよね」ってことだけなんです。


「~しに行くという意味が強いならばtheをつけないよ」

なんてことも、

三角関数にはいろんな公式があってそれが数式ではうんぬんかんぬん」

なんてことも、全部忘れちゃってよくて、覚えておくべきことは、

「schoolにtheはつかないことが多いけどshopにtheはだめらしい」

とか、

「坂道の傾斜率は角度ではなくてtanの概念である」

とか、具体例のほうなんです。


だから、受験勉強は普段の我々の生活とは逆の順序をたどる作業になりがちという事を覚えていてほしいです。

だからアインシュタインの言葉は僕はこのようにとらえています。

具体例から法則という順番で学んだ人は、法則が頭から消えても、具体例は経験として残ります。

ああそういえばあの外人が「go to school」って言ってたな、という風に。しかし、

法則だけ先に学んでしまう人は、法則を忘れれば残るものは何もありません。

じゃあ「goとtoとgymは?」と言われればお手上げで、それはもうネイティブがどう言うかを知る以外に手立てなんてないのです。それは具体例より学ぶしかなく、そこに起きた矛盾に対する法則を探すことが勉強ではないのです。


だからもし勉強がつまらなくて、何でこんなの役に立たないのにしなくちゃいけないんだと思ったときには、あなたのしている勉強が実生活と結びついていない証拠であると捉えたほうがいいです。


では受験は有害か???

最後に一つ補足しておくと、ならば受験が有害なもののように感じてしまうかもしれませんが、それは大きな間違いです。問題があるのは受験など日本の教育システムではなく、それに臨む個人の姿勢です。


www.mattsun.work



この記事でレッテルを手に入れるだけの勉強はやめましょうみたいなことを書きました。補足しつつ、今回の話題に添えられるような形で述べてみますね。


まず、競争はなにより必要です。知りたいことを求めるその知的欲求と、受験戦争は相容れないもののように書いても来ましたが、しかし人間同士で知的欲求の差異が現れたときに相手の知っていて自分の知らなかったことを知ろうとすることは自然なことであり、これは「高めあい」と呼べるものでしょう。この高めあいを受験で得られるなら何も問題はないのです。


ただその副作用は、人にレッテルが貼られていくという点にあります。


僕は例を出すのが大好きなので、テニスの話にでもして置き換えますね。


いろんな人に縦の階級が付いてしまうから、ウィンブルドンなんて大会廃止しろ!!なんて意見が出たら、みなさん違和感を感じるでしょう。受験は有害だ!!っていうのもこれと同じです。一番の公平な社会とは、結果を出した者にそれなりの称号が与えられる社会です。


じゃあ何が問題かと言ったら、テニスの大会で勝利を重ねると、いろんな企業からスポンサーがついて、ラケットはじめ自分の器具がどんどん豪華になっていきますね。その豪華さを競ってしまうことにのみあります。


いやいや、ラケットはあくまで戦うための武器であり、決着を決めるのは試合であって、いかに高価なラケットを持ってるかとかいかに多くのスポンサーがついてるかなどは、勝負の決着を決める要素ではないんです。


もちろん誇りに思ってください。あなたに多くのスポンサーがついているのは、あなたの過去の努力の賜物であり、あなたがあらゆる勝負を勝ち抜いてきたからだ。しかしその賜物は、次回の勝負の武器なのであって、次回の勝負の決着ではないのです。


どんな武器だろうと戦えるから、受験は、”おもろい”んです。


なぜ勉強しているんですか?


スポンサーを得るためでも、ラケットの豪華さを競うためでもないでしょう。試合に勝つためです。


そしてどんな人間が試合をより楽しめて、どんな人間が試合でより勝ちぬけるか。それはやはり、具体例が先行した学習法で学びを重ねてきた人でしょう。法則が先行する学習法に目を奪われるほど、結果のみに目が行き、楽しみも見失いがちになると僕は考えています。



こんなところでしょうか...。


勉強に関してはやはり自分が本腰入れて向き合ってきたものでもあるので、語るとつい熱くなるのですが、この辺にしておきます。







おわり。