本は「へ~」で読むと、読んだ意味が無に帰する

読書が大事である、なんてことは誰もが一度は聞いたことのある言葉でしょう。


小学校なんかでも読書感想文なんてものがあるのは、当然読書は大事だよという考えが裏にあるでしょうし、しかしなぜ本を読むのがそんなに大事なの?ということを、しっかり説明できる人間は少ないんじゃないかと思っています。ましてや、本を読むときにどういったことを意識して、どういう考えを持てば読んだ本を吸収できるのか?といったことまでさかのぼって考えられている人というのもかなり少ないと思います。


僕が今までで一番本を読んだ時期は、間違いなく小学生の期間です。小学校の高学年の期間で、身長くらいの高さの本棚をすべて埋められるくらいの量の本は読んだと思います。そのほとんどすべては小説で、重松清東野圭吾などの小説は無我夢中で読みました。はじめのころのは、絵が付いた本なんかも含んでいます(『河童のクウと夏休み』なんかが一番記憶に残っていますね)。


やはり本をすぐに読みたいときに買ってくれた親の存在が一番大きかったと思います。本が身近にある状況を作ってくれたからです。中高と本を読む機会はかなり減り、読むものと言ったら教科書や塾の参考書になってしまいましたが、大学に入り、自分の調べたい案件を書物という媒体で理解することに慣れているのは、間違いなく幼少期の経験があったためです。


ここで、大学で読んでいる本というものは、ほとんどが「自分の知識を深めるための媒体」としての役割です。いろんな物語を読み楽しんでいた小学生のころとはそもそもの役割が違うのですが、このように「新しい知見を得たい」という目的で本を読む際に、自分の中でかなり重要視していることがあり、そのことについて、「本の読み方」という題で、自分の考えを書き残したいと思います。


何かの縁で、ちょっと本を読んでみようと思うこともあると思うのですが、読む際の姿勢がちょっと変わるだけで、本を読んだ意味が無に帰することも読んだ内容がしっかり体に吸収されることもあると思っています。後者のような読み方ができるようになるために、必要なものはいったい何でしょうか?

本は「へえ」で読むな


自分は、本を読む際に一番のダメな姿勢は、


読んだときに「へえ」という感想で終わってしまうこと


だと思っています。「へえ」という感情自体を否定したいわけではありません。何か知らなかったことを知ったときに、「へえそうなんだ」という感情になるのは当たり前ですが、問題はその後なのです。


「へえ」という感情における一番の問題点、それは


過去や未来の自分の実体験に結びつかない


というところにあります。



本を読もうと思った一番初めの動機を思い出してください。「新しい知見を得る」ためでしたよね?「へえ」で終わってしまう時、あなたは新しい知見を得たのではなく、「新しい知見が前を通り過ぎた」だけです。そして、知見が得られることなく通り過ぎてしまうのは、あなたの体験と何も結びついていないからです。


だから自分の体験や考えと絡めないと知見は吸収されません。しっかり知見を吸収できる人間の姿勢は、「へえ」ではなく


「あ~、そうそう」


なのです。


何かを読んだときに、その考えはあなたの体験などにどう関係しますか?未来のことはわからないことも多いでしょうから、過去のほうが考えやすいでしょう。この自分の過去にしっかり知見が絡まったときの感想が、「そうそう」なのです。


自分が抱えたあの時の感情って文字に起こすならそういうことなんだ

あの時は説明できなかったけれど、この考えを用いればあの時のことに説明がつくな


こうした感想が生まれてくるとき、あなたが本で読んだ内容というものは初めて知見として得られることができます。


例を出すなら、例えばあなたは歴10年の野球部の人間であるとします。何かの番組でピッチングのコツが特集されていたとしたら、あなたはきっと「ああそうなんだよねあの時教わったわ~」と、自分の過去と結びつけて考えることができるでしょう。しかし別の番組でサッカーのドリブルのコツが特集されているのを見たときにあなたはどういう姿勢で見るの?という話です。


ここで「へえ、ドリブルってそんなもんなんだ」で終わってしまうのなら、サッカーに対しての新しい知見は得られていません。下手したら、サッカーの特集を見ただけで何かサッカーを知ったような気持ちになってしまっているかもしれません。それはとても勿体ないことです。そうではなく、「あーそうそう、ドリブルの時のこの足の使い方って走塁の時に活きるんだよね」という見方があなたにはできますか?


多分走塁とドリブルに相関はないと思うのですが、あくまで例です。許してください。


このように「そうそう」を意識するだけで、読んだ本というものは裏切らずにあなたの世界にすんなりと入ってきてくれます。この読み方を意識するだけで、あなたの世界は大きく変わるのではないかと思っています。


行動が変わらないと意味がない

次に、そもそもの話なのですが、


読んだ本が吸収されるって、一体どういうこと?


という疑問にさかのぼってもう一度考えてみましょう。上に書いたことを用いるならば「あなたの実体験と結びつくこと」ですが、僕はさらに重要なもう一つの側面があると思っています。それが、


本を読んだことで、その瞬間からのあなたの行動が変わること


です。ちょっと誤解を招かぬように付け加えておくと、これは、本に書いてあることに従わないと意味がないという訳ではありません。本に書いてあることをその瞬間から実践する、というのが最も分かりやすい行動の変化だと思うのですが、しかし、


「この本に書いてあることが全く納得できないので、こうした意見に反対する意見を自分の中でまとめる」


といった行動につながった場合でも、これは間違いなくあなたに起きた変化です。本を読んでなかったら起こっていないことですからね。


ですから一つ大きな指標として考えてほしいのは、


読む前と読んだ後でどんな変化が起こった?


というこの一点に尽きます。理論上、本を読んだ後のあなたが、本を読まなかった時にも存在するのだとしたら、本を読んだその時間は完全に無意味だということになります。自分の考え方などにどう影響したかをまとめることは、本の内容のバックアップにもなり、本を吸収するうえでのこれ以上にない作業です。


すぐ読んだ瞬間に変えないといけません。いつかやろうでは絶対にやりません。


自分も、『嫌われる勇気』を読んだ後には、怒っている人間への見方が変わりました(どんな内容かは、実際に読んでみてください)。また、岡本太郎の『自分の中に毒を持て』を読んだことで、何か自分が大きな選択をする決断の際にはいつもこの話を思い出します(どんな内容かは、以下同文)。


大げさな表現ではありますが、実際に行動が変わることで、あなたの中にその読んだ本の魂が宿るわけです。このような感覚を、もっともっといろんな人に知ってほしいと思います。


ちなみに上で紹介した岡本太郎の本に関しては、読んで損のない名著だと思うので、紹介させてください。


あなたの人生の師匠を探せ

これまでの話をまとめると、


あなたの実体験と絡めることで行動を変えろ


ということが言えると思います。こんなこと小学生の時には1ミリも考えませんでしたが、しかし当時本を読む習慣がついたことで、大学でこのようなことを考えるときの土台となりました。


そしてこのような考えに基づいた読書を、僕は


人生の師匠探しの旅である


という風に考えています。


数えきれないくらいの本がこの世にはありますが、本当にいろんな本があるわけですから、あなたの考えで共感ができる本もあれば、できない本もあるでしょう。それは当然です。その共感できる本の中でも、きっと「この考えを自分の中での軸にしたい」と思えるものがあります。それが即ちあなたの「師匠」です。


自分にとって「このようなな生き方がしたい、そのためにこの人の生きざまをお手本にしたい」と思える存在があるということは、その人の軸でもあります。何もかもまわりに合わせる必要も、かといって完全に孤独に生きる必要もなく、自分の尊敬できる生き方に見習うことが一番の強さだと、僕は思います。


今の時代、本でなくても構いません。YouTubeとかでも構わないでしょう。本質は「何かを得ようとする際の姿勢」であり、このような姿勢で本を読んできた人間が他にいたとき、間違いなく僕は「強い人だな」と感じます。




おわり。