勉強が苦手だと思うなら、まず周りのせいにしろ

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今年もあとわずかになり、ついにクリスマスイブとなりました。


年末年始は忙しくなりそうですが、忘れ去られない程度にブログは更新出来たらなーと思っています。ただ、いつものように少し暗い話題をせっかくのクリスマスに提供したくはないので、今回は


ただただ周りのせいにしていこう


という話をします。


え?という感じではあると思うのですが、今回は、循環する中間層の話をします。そして話題は勉強について。自分には大した特技もなく、しかし強いて言うのであれば、勉強をする態度というものはある程度の軸を持って臨んできました。みなさんがどういう流れで勉強に向かい合っていくべきかを考える機会になったらと思います。

勉強が苦手な人間はこの世にいない

得意や苦手というものは、何をするにも誰かに付きまとう一つの問題でしょう。誰にだって、得意不得意があるのは当然なことであり、しかし、得意不得意が存在するというのは、


それぞれの人間が同じ水準で戦っている


というために生まれている概念であるということも同時に考えないといけないと、僕は思っています。


自分は勉強というものは、それぞれがただ自分の知りたいことを知ろうとする行為である、とだけ捉えてきました。だから受験戦争にも出世レースにも何ら興味はないし、例えば自分にとって京大とは、学歴ではなくただの環境です。


過去にこうした自分の勉強に対しての考えをまとめた記事がありますので、併せてごらんください。詳しくはこちらにすべて書いています。
www.mattsun.work


だからみんな知りたいことも別々なはずです。なのに、そこに得意とか不得意とか存在しますか?


得意不得意とか言っているのは、受験生として皆さんが縦に並べられているからです。成績もすべて数字で返ってくるからです。だからまずは皆さんが、自分は勉強が苦手なわけではないと思うところからまず始めるべきです。


誰もがみんな中間者である


今年度の東大の入学式で、以下のような話がありました。僕はこの言葉が、とても深く胸に刺さっています。


あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。


自分が京都大学を選んだのは、ただただ、進振りが嫌で東大にしたくはなかったけど学歴は欲しかったからです。さっきと言っていることがおかしい!と思われると思いますけれども、どの大学に入学したかでどれだけの努力をした人間かが分かる名刺のような役割を持っていることも、事実として認めてはいたからです。


ただその努力が報われてきたのは、間違いなく環境のおかげです。中高とレベルの高い教育を受け、予備校でベテランの採点などを受ける機会もあり、そしてそこに当たり前に通える親の経済力があったからです。


例えばこうやって、勉強はレースではなくてただの知的好奇心への処理だという自分の意見であっても、自分が1から発明したわけではもちろんありません。いろんな人から話を聞いて、僕が自分に合った方法でそれらをブレンドしてきただけです。


だから僕は自分の考えを話すとき、自分の知をひけらかすような気持ちで話してはいません。今まで自分にこうして知を与えてもらった人たちの知をひけらかすような気持ちで喋っています。自分はこんな素敵な考えに出会ったおかげで自分が存在していると。


自分はただの中間者なんです。与えられたものをただ与えているだけです。ただその与える過程において、自分なりのアレンジを加えることはできます。そうしたアレンジ同士で人は豊かになっていくのだと思ってきました。


中間者を生み出したのは中間者である


ですから、逆のことも言えると思うのです。あなたが勉強しても結果が出ない、苦手だなんて思ったら、それは間違いなく環境のせいです。僕は今の環境でなければ絶対に今の考え方には至ってないし、当然結果も出ていないからです。


効率の悪い勉強方法ばかり仕込まれてあなたが勉強したとて、結果は出ません。


とても傲慢であると思われてしまうことを承知で書きますが、僕のような考えで勉強を他人に教えられる人間はかなり限られていると思います。「何で勉強するの?」という疑問に対して「あなたの将来のため」とか平気で言ってしまう人間もいるわけです。何もわからずにただ闇雲に勉強して、今度その人たちが親になったらまた「あなたたちの将来のため」とかいうわけです。子供は親の鏡ですから仕方ありません。しかし何もないところから新しいものは生まれやしません。


大した親に育てられたわけではありませんが、しかしやりたいことを気ままにやらせてくれたおかげで今の自分があります。中間者かどうかは知りませんが、京大に行くのも親に反対されたままだったら今の自分はないでしょう。


(この言葉が、親へのささやかなクリスマスプレゼント)


ですから、こうして中間者が中間者を生み続けるスパイラルにも客観的に気付けることはかなり大事であると思います。あなたが今、ある環境で下位にいると感じたら、下位が自分を育てたせいで下位になったという視点を持ってみるのも大事です。


手詰まりな僕へ。


上のこうした文章を読んで、少なくとも僕が逆の立場だったら、



じゃあもう手詰まりじゃん



と思うと思います。僕は即ち、あなたが勉強できないのは周りのせいだからあなたにはどうしようもない、ということを言っています。


そうです。あなたにはどうしようもありません。じゃあどうしたらいいんでしょうか。


僕は、手詰まりである自分を描き出すしかないと思っています。


勉強に対しては、これから一生変わらないであろう確固たる信念が上のようにありますが、しかしそれ以外のことに関してはちんぷんかんぷんです。


中高大とずっと続けている部活動だって、総合人間学部に転学部してから考えてきたことだって、もう何が何だかわからなくて、自分が何故こんなことやってるのかとか様々に自問自答しました。何をしても大体は空回りで、これらの分野で僕が勉強のような確固たる軸の意見ができることは多分ない気がします。


これを手詰まりと呼びますか?


これを手詰まりと呼ぶなら手詰まりでもいいですが、しかし手詰まりな人間にしか分からないことがあります。なぜ手詰まりなんだろう、手詰まりから抜け出す方法ってあるのだろうか、そうしたことを考えることはいくらだってできます。手詰まりを抱えたことのない人間にはわからない感情をあなたは持っているからです。


以前この記事で、僕は次のように書きました。
www.mattsun.work

トッププレイヤーに感銘することは誰にでも出来ますが、しかしいちばん身近にいる大事な大事な名も無き挑戦者を応援すること、背中を押すこと、これはほかの誰にできることなのでしょう。あなたにしか出来ないことをやってこそ初めてあなたの良さが出るものだと思います。無理だと思われていること、結果がわかり切っているようなこと、そこに向かい挑む気持ちを与えられるのは全世界でそこの1人だけなのです。


名も無き敗戦者であること、即ちもう手詰まりであることにもっともっと誇りを持つべきだと思います。そんなみなさんを陰で応援できる人間になりたいものです。





おわり。








おまけ:ミルクボーイ


みなさん、М1は見られましたでしょうか。優勝のミルクボーイも面白かったですねー。真似してみたくなっちゃいました。


「オカンがな、好きな趣味があるんやけど名前を忘れてしもたみたいやねん」

「いや趣味の名前忘れるってどういうことやねん。ほな私が当ててみますわ。なんか特徴を言うてくださいよ」

「なんかな、学生時代によく受験のためにやってたんやけど、趣味としてやるのはおかしいみたいなものらしいんよなあ」

「それはもう勉強とちゃいますか。受験戦争も激しかったですからねえ。たしかに勉強が趣味っていうのはちょっとおかしいわ。もう勉強で決まりや」

「いや俺も勉強か思てんけどな。ようわからへんのが、オカンが言うには、『将来のためにやるもの』らしいねんなあ」

「ほな勉強ちゃうやん。勉強っていうのはね、将来のためとかじゃなくて、今この瞬間の知的好奇心を満たしたいと思うからやることやねん。それは勉強ちゃうわー。ほかに何か特徴はないん?」

「ほなオカンが言うには、『もっとみんなが別の分野で挑むべきもの』らしいんよなあ」

「そらもう勉強やん。勉強っていうのはね、自分にしかできないことをもっともっとやってこそ意味があるのよ。てかオカン、趣味に『挑む』言うてもうてるやん。本気すぎるやろー」



茶番でしたねー。笑いのセンスはありませんので、やめておきます(笑)





ほんとに、おわり。