本を読ませたければ、本を読ませるな。

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さて、久しぶりに、心理学に関する記事を書きたいと思います。

タイトルに関しては、「は?」と思われる方が多いと思いますが、このことはちょっと後に出てきますので、しばしお待ちを。


今日は主に、行動療法に関しての話です。

前半は知識的な堅苦しい内容が続きますので、タイトルに関連した「子供への接し方」に関しては、「勉強しなさいは、生涯言うな」あたりからお読みいただければ早いです。
(できればそれまでも読んでほしいですケドネ)

行動療法とは??

一般に、我々生物は、行った行動に対して、快刺激(報酬)が付与されると頻繁にその行動が繰り返されるようになり、逆に不快刺激(罰)が付与されるとその行動の頻度は減少します(この一連の過程をオペラント条件付けと呼びます)。

このような学習心理学の知見を利用して、ターゲットとなる行動の頻度を増加ないし減少させることを狙うのが、行動療法です。発達障害を持つ子供などに対して、この行動療法的アプローチが行われることがあります。


説明だけだと堅苦しくてややこしいですから、まずは下の一例をご覧ください。

A君の一例

 A君(以下、A)は、小学3年生になり、「図工の時間で次に自分が何をしたらいいかわからないから授業に出たくない」「先生に聞いても教えてくれない」などと学校生活での不安や頭痛、吐き気を訴え始め、不登校傾向にあった。そこで、Aの母親に対し、「登校頑張り表」なるものをつくり、一週間の登校率が目標に到達基準に達成した場合、Aが楽しみにしているレンタルビデオが見られるというルールが導入された。登校頑張り表には、登校から下校までの一連のイベントの流れが記されており、そのイベントを達成できたら星や花などのお気に入りのシールを貼って行く。
 Aは、第一段階では80%のイベント達成率を目指すところから始め、それを4週連続で達成した場合、第二段階として85%の達成率へと移行するというステップを踏み、3か月後にはほぼ100%のイベント達成率になったという。
 なお、この介入前には、母子それぞれの不安の程度を把握し、それに応じたサポートをするため、1セッション90分の母子面接が行われていた。セッションでは、学校の時間割のように、6~8の課題や活動を設定して行わせた。このスケジュール表には、わざと活動内容を伏せた「?」の時間が設けられており、そこではAの安心して行うことができる課題(算数や国語など)と、緊張を伴う課題(図工)を交互に行わせた。はじめは、「わからないのはいやだ、どうなるのかなー」と言っていたAも、その都度「どうなるのかはその時のお楽しみ、だからまだ内緒」ということで、Aの先の未来に関する質問も減っていき、抵抗も減った。学校の教師に対して「図工の手順を視覚的にしっかり示してほしい」と求めていた母親も、「示さなくてもうまくいく方法があることに驚いた」と話していた。


これは俗にいう、トークンエコノミー」と呼ばれる方法です。

A君に対し、「学校に行く」という行動を増加させるため、レンタルビデオという快刺激を与えたわけです。


さて、この方法に対し、皆さんはどう思うでしょうか??


不登校の傾向を改善することが目的ですから、それをベースに考えるのなら間違いなく最良の方法ですが、同時に、こんな考えが挙がるのも当然のことと思います。


報酬が目的になってしまわないか??


確かにその通りです。報酬というのは、人を活かすものでしょうか?ダメにするものでしょうか?そこらの境目について考えてみたいと思います。


子供の動機は、どこか??


動機について、「外発的動機」「内発的動機」という2種類がまず存在します。


例えば、

「計算大好き!答えを知ったときのあの感覚が好きなので、まだまだ勉強したい!」

となったとき、それは「内発的動機」です。誰が何と言うかではなく、ただ自分がしたいからしている、ということです。自分の中から欲動が湧いているわけですね。

それに対し、

「テストでいい点を取るとママがいっぱいほめてくれるから頑張れる!」

となったとき、それは「外発的動機」です。ママが存在しなくなったらたぶん勉強はしなくなるでしょう。価値の判断が他人基準となる場合を指します。



さてここで、先ほどのトークンエコノミー法は、どちらの動機を与えているでしょうか。

間違いなく、外発的動機ですよね。

「勉強しなさい」は生涯言うな


過去に、親に「勉強しなさい」と言われて少し嫌な気持ちになったことがありませんか?

「今しようと思ってたんだよ!」みたいな。


これは、勉強しようと思っていた(即ち内発的な理由で)のに、親がそう望むから(即ち外発的な理由で)であると感じることによる動機のすり替えに対しての嫌悪感であると言うことができます。


(とはいいつつも、大部分は、勉強したくなかったのを親のせいにしていることが多いと思います、反省しましょう)


勉強しなさいは、生涯言うべきではありません。なぜ勉強したくならないのか、を考えるほうがよっぽど有意義です。


からしても、自発的に勉強してくれたほうが嬉しいはずです。そしてそのためには、勉強をさせないのです。


本を読ませたければ、本を読ませるな。

ではどのようにして内発的動機を促したらよいでしょうか?

例えば本を読ませたいとき、


親が本を読み、本を読んで有意義だったことを語り合う姿を子供に見せる

目に触れるところに置きながら「これ、自分の一番大事な本だから、触るなよ」と子供に伝える


この辺りがとても有効なのではないかな、と自分は考えます。


そして、この考えの基軸になっているのは

まずは客観的にさせること

ということです。


冷静になるコツは「幽霊になる」


「勉強しなさい!」「いやだ!たのしくない!」

みたいな会話には、あまり知性が感じられません。一番欠けているのは、自分の周りを客観視する能力でしょう。


本を読ませたいときの対応例として紹介した上のふたつは、どちらも、子供が、自発的に本を読んでいる姿を想像できているとも言えないでしょうか??


うしろにたってろ!!!と言われたあとに、戻って勉強がしたくなるのと同じで、やるなと言われたらやりたくなるものです。親が楽しんでやっていることに子供が嫌悪感を示すことは少ないと思います。

だからたとえば、子供にはゲームばっかさせて、その代わり子供の前ではとてつもなく楽しそうに勉強する姿を見せつけてやる。これくらいの極論でも構わないと思っています。そのうち子供はゲームをやめるんじゃないでしょうか(実際に体験していないので知りません)。


でも、知らない土地に行くときに、おススメのグルメを調べたりするのと同じで、周りが楽しいと言っていることに自分を重ね合わせることができるかどうか、そうした体験を養育者が提供するのは大事ではないかと考えます。

一回幽霊になったつもりで、20mくらい上空から自分を見ているつもりで、

自分はこれをしたらどうなるんだろう

周りはなぜ楽しそうにやっているんだろう


などなど、そう考える機会を与えてやれる人間に、自分もなりたいものです。





おわり。