初めて行った心療内科、死ぬほど後悔した話。

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この記事は、またまたある意味自分の原点となるような話です。


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自分のプロフィールにも、心療内科に行った話はちょこっと載せましたが、ほとんど詳しく書いていませんでした。この記事の前に、できればこのプロフィールも読んでもらえると嬉しいです。そして、タイトルにも書いていますとおり、自分は心療内科に行ったのを

死ぬほど後悔しています。


初めに断っておくと、一切の非はすべて自分にあります。自分の心構えなどの準備の至らなさが原因で起こったことであるので、心療内科の気に入らないところを書くようなところでは一切ございません。

自分の心理状態を知っておくべきことと、他者の診断を受けるということには、大きな隔たりがあります。心に悩める人たちに、読んでもらいたいものです。

なぜ、心療内科へといったのか?


みなさんは、自分の性格、というのを、どれほど周りに正確に説明できますか?

僕は全くできませんでした。それを周りに求めるため、心療内科へと行きました。

自分の症状


こんなことをわざわざ文字に起こして、ブログに書くのも恥ずかしいことではあるのですが、自分の症状としてあったのは以下のようなものでした。


・ネガティブ要素が強く、多くを考えすぎてしまうこと。

・過去の自分(詳しくはこちら)と今の自分が重なった際に、未熟な自分が許せなくなり、夜も眠れなくなる


とかです。これらの状態に関しては、「ちょっとネガティブ」みたいな言葉で全然済まされるものであって、どうしてもこの自分をなおしたいとか思っていたわけではありませんでした。しかし、心のプロである他人から見た際に、自分はいったいどのような風に映るのだろうかと。

それを新しく知ることで、新しい自分が見えるような、そんな気がしたのです。


心療内科での、はなし。


ということで、予約を取り、心療内科へ行くことに。

病院内はとても静かで、なんか重苦しい雰囲気でした。その当日は、①事前の自分の説明、②医師との会話、という二段階で進められました。①は医者ではなくて、助手(?)みたいなお姉さんが話を聞いてくれました。この二段階をそれぞれの順番に、思ったことを書いていこうと思います。


①自分を、話すということ。


当然、あちら側は僕という人間を1ミリも知らないところから診察が始まるわけなので、僕は自分を一から説明しなくてはなりません。学校とか年齢とか出身とか、そんなものは考えずとも話せるので構いませんが、その後です。


まず自分が過去に取り戻せぬ失敗を犯したこと、そしてそれより、なんだかやはり考えすぎてしまうということ(もっと詳しく話したのですが、それを文字に起こすのはエネルギーのいることなので、ここではひとまず割愛させてください)を話しました。


普段の自己紹介などというものとは、わけが違います。たまたま自分は心理学を学んでいたので、「ここでは面接法を使うんだな」とか、「あ、このタイミングで半構造面接法に変わったな」とかが分かってしまったのですが、まあそんなことはどうでもよくて(笑)。

一つ一つの言霊が、ふわっと浮かんでは目の前に浮遊しているような、そんな不思議な感覚でした。夢の中にいるようでした。

そして、僕はゆっくり話しながら、その浮遊している言霊をゆっくりなぞるんです。

話しながら、ああ、自分てこういうことなのかなと、少しでも腑に落ちると、その言葉はすっと浮遊するのを止めて自分の中に取り込まれ、初めて文としての形を成すのでした。



ここまでちょっと読んで、「は?」と思われた方、ほんとうにごめんなさい(笑)。

ただそれだけ、自分を丁寧に話したのです。人生でこんな経験は初めてでした。



②自分を、聴くということ。

そしてその前書きのような話も終わり、2時間くらい待ったでしょうか、ついに医師の方とお話しすることとなりました。

自分について、大体のことは先ほど話したので、今度はどちらかというと医師の方の話を聞くという感じです。聞くといっても、


そんなあなたは...デデン!!~~タイプ!!


みたいな感じではなく、1:1くらいの割合で話し合いながら、「なるほど、あなたはこんなことを感じているんじゃない?」みたいなことを聞く感じです。

聞くというよりかは、本当に、聴くという感じでした。漢字に書いてある通り、耳、目、心、すべてを使いました。


とは言いつつも、実は聞いたことを今ではあまり覚えていません。よっぽど緊張していたのだと思います。


とても覚えていて印象に残っているのは以下の2つでした。


「まじめすぎるんだね、きっと。」

「トラウマ障害みたいなものは、あるのかもしれない。」


あまり実感はなく、そっかあ、て感じでした。まあ、そうだよなあと、悔しくも悲しくもなく、本当に無の感情に至りました。



僕の魂が、問うていること。


全然詳しくないここまでの話ですが、お許しください。すべてを文字に起こし、そして整理するには、僕はかぎりなくまだまだ未熟なのです。

しかし、この1日で、僕がただ感じたのは、心療内科へ行ったことに対する後悔のみでした。


自分は何を得るためにあの場所へ出向いたのか


自分の時間に空白のようなものを感じました。そしてその時、僕ははっきりと気づきました。



僕は病気を欲していた



『嫌われる勇気』の中に、以下のような話が出てきます。

さて、彼女の悩みは赤面症でした。人前に出るとどうしても緊張や恥ずかしさで顔が赤くなってしまう。そして彼女にお願いされたのです。この赤面症を治してほしいと。もしもその赤面症が治ったら、お付き合いをしたい男性がいるとのことでした。


ほお、いいじゃないですか。


しかし、私の見立ては違います。彼女自身が、赤面症という症状を自ら欲しているのです。赤面症である限り、彼女は、赤面症であるせいで意中の男性とお付き合いできないのだという、可能性の中に生きることができる。赤面症が治ったとて告白が失敗する可能性なんていくらでもあるし、その時に彼女はきっとこう言いに来ます。「赤面症にもどしてくれ」とね。



僕自身、これと同じようで、結局、トラウマ障害を求めていたような、そんな気分になりました。


わかりやすいように、ここからは、怪我をたとえに出して話を進めます。


もう僕の骨は、とっくに折れていたのです。しっかりと立って歩けないし、どう考えても痛い。しかし僕は、足の骨が折れているおかげで、今のこのブログがあるのです。

足が折れていることは、このブログが存続するために、そして僕がみんなを応援するために、必要不可欠な現象なのです。


しかし、それがいったい疲労骨折なのか、複雑骨折なのか、そもそも「骨折」という怪我の名前が本当に必要なのか...


骨が折れているというだけで十分。骨折という怪我の名前は必要ありませんでした。


むしろそんな病名がないほうが、自由に行動できる気すらしました。


それを消す病院など存在しなくって、あるとしたらそれは自分だけです。





次回は簡単な心理テストなどをいかがですか、と言ってくださったのですが、後日、丁重に断ってキャンセルさせていただきました。


これが、僕が心療内科に行ったのを心から後悔した理由です。


様々なケースがあり色々な背景がある中で一概には言えません。心因的なもので例えば健康が害されているのなら、薬などによる治療も考えたほうが良いかもしれません。



しかし、こういったことを一から考える機会ができたという点では、まったく後悔しておりません。


誰の参考にもならなさそうな未熟なただの自伝になりましたが、今後も、当ブログを、よろしくお願いいたします。




おわり。