あなたの動機は、幸せじゃない。

 


 

前回のブログでは、ラベリングなどに関する話を中心に、自分に対して無駄なラベリングをしてはもったいない、という話をしました。

mattsun0383.hatenablog.com

 

主に伝えたかったことは、マイナス感情を自分にくっつけることで自分で自分の価値を下げてしまうのはとてももったいないよ、ということでした。

 

でも当然、好きで自分の価値を下げる人間などおらず、ではどうしてそんなことをしてしまうのかを考える時、それは他人に否定される前に自分を否定しておくことで傷つかずに済むための、言わば

 

自己防衛機制

 

のようなものであるという所まで言及しました。とはいっても、自己防衛機制は悪の行動ではありません。今日ここでは、その人間の本能的な機能を否定はせず、そこから少し考察を深めてみます。

 

その際に

 

「動機の語彙」

 

という考え方を理解することが大きな助けとなります。これは本当に面白い、賢い人のみ気づくことの出来る論理なのですが、これを皆さんにも知って欲しいと思いました。

 

 

 

 

正しい因果律と、間違った因果律について

 

 例えば、AだからBだ、というように、原因と結果を結ぶこの関係を、因果律、と呼ぶこととします。何が起こるにしても、それに関係した出来事というのは必ず存在しますよね。〜だから〜である、という構造で捉えられる現象は様々ですが、そこの多くには嘘が潜んでいると考えた方が良いです。まず、たとえばですが

 

地震が起きたので津波が発生した

 

これに対して、その因果律は間違っている!という人はいないでしょう。地震がなければ当然津波も発生していません。

では、つぎに

 

②先生に怒られたから、やる気を失った

 

これに対してはどうですか?これもまあ、正しいでしょう。先生に怒られていなければやる気は失っていません。いまどき怒られて成長する人間も少ないでしょう。怒鳴り散らすような人間はあまり評判も良くなりにくいですし、周りにとっても迷惑です。

 

 

 

それは...本当ですか?

 

 

 

 

実はこれは正しくないのではないか、と考えるのが、

 

アドラー心理学

 

の考え方です。

 

『嫌われる勇気』

 

で一躍有名になったこの心理学は、過去の自分の記事においても何回か登場しました。 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

もう何回も登場しているのでくどく思われるかもしれませんが、簡単に言うと、

 

Aという出来事があったからBと感じている

 

のではなく、

 

Bと感じていることを正当化するためにAという出来事を持ち出している

 

という考え方です。AとBは繋がっているのは間違いないにしても、必ず「AだからB」と捉えるのはもったいないのです。

 

上の例で言うならば、自分がやる気が低下したのを、先生が怒ったからである、という風に先生のせいにすりかえることで、自分は悪くないと言うことを正当化しているということです。先生に怒られようとも、課題を見つめ直して努力する人間はいるわけで、そもそも先生が怒ったかどうかなんてものはあなたの価値に直結していません。

 

他者を理由に生きることで他者を規範にしてあなたは生きることとなり、そんなことなら、それは

 

他者の課題

 

であると割り切って

 

自分の課題

 

に集中すべきなのです。

 

『嫌われる勇気』という題と繋がって、これをアドラー

 

「幸せになる勇気」

 

呼び、過去に囚われた不自由な生活をやめることができる、ということが述べられています。

 

ちょっと話を脱線させると、この本は一読の価値が大いにある本です。読んだことのない人はぜひ読んでみることをお勧めします。

 

さて、動機の語彙とは、まさにこのことなのであります。勘のいい人はピンと来ているでしょうか?どういうことかを説明します。

 

 

人は何をするにも辞書を引いている。

 

 

動機の語彙というのは、社会学の研究動向のなかで生まれた、

ミルズ(Mills,C,W)の「動機の語彙論」

から発生しました。様々な大学でも関連した研究は行われており、社会学を学ぶときには必ず勉強するような内容ですが、外からの文献で理解するとき、どうしても堅苦しい印象を受けました。ここではちょっと噛み砕いて説明したいと思います。

 

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/ci.nii.ac.jp/naid/120005517877/amp/ja%3Fusqp%3Dmq331AQOKAGYAY_ImeGayeiK4QE%253D

論文で読んでみたい人は、CiNiiより、こちらをおすすめとして紹介します。いじめと関連して行われている研究です。動機の語彙がどう身の回りと関係しているのかがわかりやすく説明されています。

 

 

 

さて、語彙、というと、辞書をイメージしますか?語彙は、辞書を引くと蓄えられます。本を読んでいて、知らない単語に出会ったときは、これはどういう意味なのだろうと辞書を引きますよね。そして

「ああこれはこういう意味なのか!なるほど、この文の意味がわかったぞ!!」

となるでしょう。先ほどの因果律の話と.........似ていませんか?

 

 

つまり、動機の語彙とは?

 

 

ズバリ言うと、あなたは、知らない出来事に遭遇したときに、

 

「過去の自分の経験」という名の辞書

 

を引いているのです。あなたは、生活しながらに「動機」という語彙を必死に蓄えていて、知らない出来事に出会ったら、それを正当化できる事実はどれだろうかと辞書を探ります。そして、この動機を用いれば説明できる!という動機をピッタリ持ち出し、その知らない出来事を、意味が通る一連の流れにしてしまうのです。

 

先ほどの例で言うと、

 

なんか自分のやる気がなくなってきたな

↓↓↓

これを正当化するものってなんだろうと思い、辞書を引く

↓↓↓

あ、先生に怒られたって言う経験があるやん!これを当て嵌めれば説明できる!

 

ということですね。

 

 

 

動機の語彙を、理解する意味

 

 

なんとなしに、動機の語彙について分かってもらえたでしょうか。では、理解したこれをどのように我々は糧とするべきでしょうか?学術的に有用なものとするならば、社会学などと絡め、上で紹介した論文のように考察もできますが、今回は、そっちの方面ではなく、自分たちの生活に活かせるように考えてみましょう。

もしたとえば、

 

「なるほどー、正しい理由を探さないといけないんだね」

とか

「辞書なんて、もたないほうがいいね」

 

となってしまうとしたら、少し待ってください。

僕は散々、その因果律は間違っているよという語調で話してきたので、間違いを防ぐ、避ける方向へと話が進んでしまいそうですが、しかし今ここで、

 

間違っているかどうかなんてことは、問題ではない

 

のです。もしかしたら、本当に怒られてやる気をなくしたのかもしれないわけで、何が正しい間違っている、それを万人に納得できるように説明するのは不可能です。そう我々の辞書は、とてつもなく不便なのです。

 

いや、本当に、不便ですか???

 

辞書は万人に対し一種類でなくていいのです。各人それぞれが、みなさんにとって

 

幸せな辞書を持つ

 

ので良いのです。周りのせいにせず、自分のせいだと思い自分主体で物事を考えることができるのであれば、それがたとえ本当にあなたのせいではなかったとしても、因果律が間違っているなんてことはどうでもよく、あなたに都合のいい辞書で考えていけば良いのです。大事なのは、この「都合のいい」を、履き違えないこと。他者に責任を擦りつけることで都合を良くするのではなく、自分も周りも幸せになることで都合を良くする、その一点だけで物事を考えられる辞書を手に入れることを目標としてみてください。色々と世界は変わるのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり。