今、どうしてもあなたが必要な理由。

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嘘みたいな猛暑もやっとこさマシになり、少しずつ涼しくなってきましたね。9月ももう終わろうとしていますが、結局9月前半までは部活漬けの生活をずっと送り、心の余裕もなく一瞬で過ぎたように思います。3回生の夏ということで人生の部活動において最後のシーズンだった訳ですが、いろいろ学んだこともあり、最後の記憶のメモということで、記しておこうかと思います。

表題にちょっと大げさに書きましたが、しかしこれを意識できるだけで大事なことを逃さなくできると思います。

世界の他の誰でもなく、あなたが今必要なのである

という話をします。

自分らはそんな大した人間ではないと思ったでしょうか。そんな自信は、ないですか?

 

 

 

 

 なぜ、自信がないのか。

 

スポーツは、正直、メンタルゲーです。弱い気持ちで勝ちが回ってくることはほとんどないでしょう。そうなると当然、自分に自信が無いようなへっぽこたちにはシビアな世界になります。僕もその一種で、過去の記事を読んでくれた人や知り合いならもう分かってもらっていると思いますが、僕はやはりネガティブ人間です。僕だけではなく、そんな人達は周りにちょこちょこいたりしますが、彼らに対して、「自信をもっていこ!」と応援をつけることがあります。でも僕は、ずっとこれに対してなんかちょっと違和感があって、果たして、本当に自信というものは必要なんだろうか?と。

 

そもそも自信って?

 

そもそも自信というのは、例えば、ここで○○すれば確実にポイントを決められる、とか、自分の能力と行動に確信をもてること、というようなニュアンスで僕は捉えています。これを前提として、僕は一生これを感じることは無いだろうな、と何故かある時ふっと思いました。もう未来永劫です。上手くいった時だって別に自分はできる!とか思ってやったら上手くいったわけではなく、本当にぼんやりと、

「なんかやったらできた...」

だけなんです。成功も失敗も全て僕の中ではぼんやりとしていて、後で振り返った時にあぁ、みたいな感情が残るだけなのです。それはどうしてなんでしょう、としっかり考えてみた時に出た結論は、自分には自信があったのではなく、周りから「勇気」を与えられただけなのではないか、と振り返りました。

 

どんなに一流と言われるようなプレイヤーだって、いざという場面で勝負に出るのは怖いはずです。勝負に出たとてそれが必ずいい結果に繋がる保証なんてどこにもないし、なんなら僕達国立大学のプレーヤーは周りの私立大学の強豪を前に99%失敗しか待っていなくて、しかしそれでも強い人というのは必ずあるところでしっかり勝負しているのです。それは「決められる自信」があるからと言うよりかは、「決めに行く勇気」があるからであると言った方がしっくり来ないでしょうか。

 

では自信はどこから来るのか。 

しかし自信がないと思われているような人達に、初めから勇気が備わっていることはまあほとんどありません。与えられてばかりの人間である僕の周りの環境をもう1回思い出した時、僕がこの勇気を貰ったのは、2人のおかげでした。1人は男子部の一個下の後輩、もう1人は女子部の一個上の先輩なのですが、どちらも性格的には僕寄りで、周りから見たら「なんでそこで」というような頼りないプレーこそしてしまうようなタイプですが、しかし、僕に1番の勇気をくれたのも間違いなく彼らでした。年を追うごとに上達し、そんな先輩を見ながら自分も頑張りたいですと後輩は声をかけてくれ、そして2人とも、自分が賞状をとれるような結果まで出すことができた時にはもうそれは我が身のことのように喜んでくれました。こうして支えてくれている人がいる限り頑張ろう、次もまだもうちょい行けるかながんばってみようかなと、そう思えたのです。

 

応援は、その人から見えている世界を変えることが出来ます。

 

大それた表現だと思われると思いますが、でもこれは本当です。きっとできる、胸を張って、大丈夫、自分が応援しているから、そう声をかけ応援してくれることで自ずと挑戦する勇気が湧いてきます。挑む気持ちというのが出来てきます。メンタルケアを自分一人でできる人からしたら、「そんなことも1人でできないのか?」と思われる事もあるでしょう。実際そういう人達は本当にすごくて、でも僕らはちっぽけで、寄りかかりながら生きています。でももう、そんなことはどうでも良いのです。彼らが自分の力で挑むと決めた場に、自分は他人から貰った勇気で挑むと決めたことは非難されることではありません。自分の剣で力を信じ戦おうが、他人から貰った弓で遠くからコソコソ狙おうが、相手を倒せば変わらないのです。

 

自信なんてなくていい、ただ背中を押してあげるということ。

 

あまり結果が出ず苦しかった頃のことを思い出した時、僕は自分を応援できていなかったなということに気が付きました。自分に対して、頑張って挑んでこいと背中を押す、というよりかは、下手くそでなんやかんやどこかでコロッと負ける、そんな自分が嫌なだけでした。そこから、ではどうすればと考えて練習を積む努力ができたことに関してはプラスでしたが、しかしそのあと本番を迎えた際の気持ちの入れ方はマイナスに働きました。自分に対しては応援ではなく、「そろそろなんかしろ、チームに迷惑かけるな」と、どちらかというと叱咤に近いような感情を自分にぶつけていたのです。だから、応援をするというのは、簡単なようで多分とても難しいのでしょう。「自分に厳しい」ということを少し履き違えていたのです。しかし、僕に勇気をくれたあの2人のように、そうしたことをさらっと当然のようにしてくれる人たちもまた同時にいたのです。そうやって他人の見える世界を変えてくれることは、ひとつの試合でちょこっと結果を出すことなんかよりよほど凄いことなのではないかと僕はずっと感じています。感謝してもしきれない思いがあります。

 

自分にしか出来ないことをして初めて価値が出る。

そしてこれらの考えは、あるひとつの決まりに基づいて生み出されました。それは、

 

「憂いが続くとしたらそれはすべて自分のせいである」

 

ということです。スポーツに限らず、誰かと共にチームとして行動する限り、他人の行動が目に付くことは多いでしょう。その時、なぜあいつは思うように行動してくれないのか、なぜ頑張った自分が報われないのか、そういった悩みを抱えることは必然です。しかしその時、そのまわりの現象を全て自分のせいだと捉えるのです。結局自分一人で勝手に変われば良いのです。考え方とアプローチさえ変え、穏やかにことを進めれば大抵の事はうまくいきます。あなたのことを本当に大事にしてくれる人というのは、

 

色々なことをアドバイスしてくる人間

ではなく、

あなたのことをあなたの価値観で理解しようと話を聞いてくれる人間

 

です。思い通りに動いてくれない他人がそこらよりもよっぽど大人な考え方をしていることなんてざらにあります。周りのとらえかたをちょっと変えてみてください。その時に、自分でも、1番気の合う友人でも、誰でも構いません、いってらっしゃいと背中を押して応援できる人間を見つけることができたとき、それは自分を変えて周りの世界を変えることに等しい行為です。トッププレイヤーに感銘することは誰にでも出来ますが、しかしいちばん身近にいる大事な大事な名も無き挑戦者を応援すること、背中を押すこと、これはほかの誰にできることなのでしょう。あなたにしか出来ないことをやってこそ初めてあなたの良さが出るものだと思います。無理だと思われていること、結果がわかり切っているようなこと、そこに向かい挑む気持ちを与えられるのは全世界でそこの1人だけなのです。

 

 

なのにやはり、その場の空気に流され、愚痴や悪口に走ってしまうこともあるでしょう。こんな偉そうなことを言っている僕も、言いたいことを言い感情が顔に出てしまう性格ゆえ、いろいろと迷惑をかけたことも多かったように思います。結局僕もカスみたいな雑種のうちの一人で、でもそこから少しでも変わることの出来るきっかけを見つけなくてはいけなかったのです。どんな部員であっても、人間です。誰であっても、期待されず、否定され続けたらそれは当然心はどんどん消耗します。過去を反省することは必須ですが、過去を責めるよりかは未来を語れるような、そんな集団にならないといけません。飲み会で、実はこんなことを思っていました、とか、しかしそんなことは思った時に思った人にしっかり伝えないといけないのです。

 

 

 

 

 

 

すぐに大学は後期へと突入し、寒くなります。夏に比べれば雰囲気は落ち着きそうですが、残り半年となった部活動、まだまだ精進したいと思います。

 

 

P.S.

8/18に受験した心理学検定は、無事に1級を取得しました。とりあえず一安心です。

 

 

 

 

 

おわり。